ウイスキー&バー
ウイスキー雑学・業界情報(2ページ目)
ウイスキーの世界は奥深い。ここではウイスキーの知って得する雑学や業界最新情報、歴史などを紹介する。
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山崎蒸溜所100周年7/ウイスキーづくりと山崎駅
ガイド記事達磨 信麦ばかり喰う怪物ウスケの住処山崎蒸溜所、大麦貯蔵庫(1929年)日本初の本格モルトウイスキー蒸溜所、山崎蒸溜所の建設がはじまったのは1923年のこと。今年ちょうど100年を迎えた。翌1924年から仕込み、蒸溜が開始された訳だが、当初、近隣住民にとっては不思議な建物だったようだ。何かを製造している工場...続きを読む
山崎蒸溜所100周年6/山崎宗鑑と松尾芭蕉の足跡
ガイド記事達磨 信歌に詠まれたウイスキーの故郷左・水無瀬神宮/右・旧西国街道にある芭蕉の句碑(撮影・川田雅宏)1488年、後鳥羽上皇(1180-1239年3月28日没/延応元年2月22日)二百五十回忌の年、1月22日の月命日に“水無瀬三吟百韻”が山崎の水無瀬離宮跡でおこなわれた。連歌師の宗祇(そうぎ/1421-150...続きを読む
山崎蒸溜所100周年5/ウイスキーとエゴマ油発祥地
ガイド記事達磨 信日本のウイスキー発祥の地は製油発祥の地でもある離宮八幡宮と油発祥の碑(撮影・川田雅宏)今回はJR山崎駅のほど近く、駅前といえる場所にある離宮八幡宮を紹介しよう。山崎は古くは貴人たちの保養地であったことをこれまで述べてきた。『山崎蒸溜所100周年・やまざき物語序章』や『山崎100周年1/貴人たちへの分...続きを読む
山崎蒸溜所100周年4/名水が生むモルトウイスキー
ガイド記事達磨 信千利休も茶を点てた山崎の名水左・水無瀬神宮に湧く離宮の水/右・尾白川渓谷(撮影・川田雅宏)日本初の本格モルトウイスキー蒸溜所、サントリー山崎蒸溜所の建設がはじまったのは1923年である。今年100周年。その歩みについて語るとき、山崎がいかにモルトウイスキーづくりにふさわしい地であるか、その驚異といえ...続きを読む
山崎蒸溜所100周年3/湿潤で美しい水郷地帯
ガイド記事達磨 信霧が発生しやすい自然の関門、三川合流地点ピンクに染めあがった春暁の三川合流地点やや上流。宇治川と木津川を隔てる背割り堤の桜並木の美しい景色。2023年、山崎蒸溜所100周年、白州蒸溜所50周年であることをすでに伝えた。白州蒸溜所は1973年2月に開設され、仕込、蒸溜がはじまっている(竣工式は5月24...続きを読む
山崎蒸溜所100周年2/桜の魂はウイスキーに宿る
ガイド記事達磨 信桜は歌に詠まれ、ウイスキーに映しとられる椎尾神社の鳥居と桜まだ、春は名のみ、である。東京では梅の開花のニュースさえ流れていない。それでも桜の話をしたい。わたしはウイスキーをバラの花にたとえて語ることがある。このサイトでは、かなり前のことになるが2005年に『セクシーに愉しむバラの花束』というウイスキ...続きを読む
山崎蒸溜所100周年1/貴人たちへの分け前
ガイド記事達磨 信エンジェルズ・シェアは貴人たちのもの山崎蒸溜所貯蔵庫2003年、いまからちょうど20年前の山崎蒸溜所80周年の年、「シングルモルトウイスキー山崎12年」が権威ある酒類コンペティション、ISC(インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ)で金賞を受賞した。このときの香味評価において“ノーブル”と表現さ...続きを読む
日本のウイスキーづくり80周年、情熱の時代 ひとりの男の魂が宿った、傑作
ガイド記事達磨 信誰もが反対したウイスキー事業米一升25銭、タバコのゴールデンバット7銭、理髪30銭、ビール大瓶30銭という時代に、日本初の本格ウイスキー『白札』が誕生している。1929年(昭和4年)のことだった。この頃、まだ珍しい存在だった大学卒のサラリーマンの初任給が50円。月収40円もあれば夫婦と子供ひとりの3...続きを読む
山崎蒸溜所100周年・やまざき物語序章
ガイド記事達磨 信1923年蒸溜所建設着手から100年天王山に抱かれた山崎蒸溜所2023年。サントリー山崎蒸溜所は100周年を迎えた。ちなみに白州蒸溜所は50周年となる。1923年の建設着手からはじまる日本初の本格モルトウイスキー蒸溜所としての歩みは、日本のウイスキーの歩みそのものである。1929年に「サントリーウイ...続きを読む
炭酸水とハイボールの歴史6/超炭酸を生む「ゼウス」
ガイド記事達磨 信明治35年、日本にもソーダ・ファウンテン登場現代のソーダ・ジャーク19世紀後半のアメリカの薬局にソーダ・ファウンテン(炭酸水のディスペンサー)が設置されるようになり、さまざまな味わいのソーダ水が人気となった。そして皆が憩う一角そのものがソーダ・ファウンテンと呼ばれるようになったことをこのシリーズ3と...続きを読む