「対等」意識が自然に身についているフランス人

jetaime
「対等」は真の友情を築く材料
越智:
それでは、頑張って自己紹介をクリアし、めでたくメル友ができたとして、今度は「長続きさせる」という新たな問題が出てくると思います。回答7と回答8の方が具体的な心がけについて書いてくださっていますが、堺さんは、その点についてはどう思われますか?

堺:
わたしと相手は、「全く対等だ」と考えることがコツだと思います。コツというまでもなく、外国人は、ごくふつうにそう考えてるはず。「対等」という言葉、越智さんは、何か感じることがありますか?

越智:
例えば、子どもがクラスメートに悪口言われたりすると、日本では、「誰が言ったの?ひどい子ねえ。」という個人攻撃になりがちですが、フランス語では、「Il n'a pas le droit de te parler comme ça.」(彼はあなたにそんな風に言う権利をもっていない。)みたいなことをよく言いますよね。まあ、直訳なので、それほどストレートでないとしても、相手の人格を否定するのではなく、権利侵害について文句を言えというメッセージがそこにはある。

私は、この相手に対する主張こそがまさに「対等」の根っこじゃないかと考えています。特にフランスという国は、民衆が王様に「対等」を要求して今に至るみたいな国ですから、こういう考え方が小さい頃からすりこまれている。だから、Non(ノン/いいえ) ということもはっきり言います。「対等な」人間関係は、「声」を出して「行動」してこそ手に入れることができるものだという考えですので、ある意味、Nonは良好な人間関係の第一歩です。

堺:
「エライ人」と「わたし」でさえ対等。だから、「あなた」と「わたし」は、当然、対等。そういう感覚が、「自分たちが作ってきた」歴史や体験のなかで、フランス人のなかにしっかり根付いている、というのは、よく感じますね。

みんな「平等」!がすりこまれてしまっている日本人

petit
あらゆる違いを受け入れてこそ生まれる対等意識!
越智:
その一方で、日本に目を移してみるとなんだかエライ人から授けられたような「平等」教育はさかんでも、自分で手に入れる「対等」の教育みたいなものはほとんどなされていない。「みんな平等」だから、相手に対してはとても優しく礼儀正しい一方で、Oui (ウイ/はい)を連発しすぎて、自分が苦しくなることも。身近な例でいえば、語学力が未熟であるという事実も手伝って、「外国人の方に文通していただいている」とか、「せっかくいただいたのだからみなさんにお返事を」とかいう妙なプレッシャーにさいなまれて、結局は文通が滞ってしまうこともあるのではと感じます。

堺:
相手を過度に尊重したり、自分を卑下しすぎたり、そういうタイプの方ですね。今の日本では、少なくなっていそうだけど、確かにいらっしゃいますね。

越智:
フランス語風に言えば、「私たちは、メール交換をはじめることもできるし、やめてしまう権利ももっている。語学力でいえば、それこそ「平等」でなんか全然ないけれど、同じような想いをいだいているあなたと「対等」におつきあいしたい。」というようなことを、日本人は、言葉にして伝えないまでも、はっきり意識しておく必要があるんじゃないでしょうか。

堺:
まさに、そういうことだと思います。

越智:
スミマセン。「対等」について語るのについつい熱くなってしまいました(笑)。堺さんのご意見をお聞きしましょう。

次ページは、堺さんが語る外国人とのメール交換の醍醐味についてです。