21世紀の『ベルばら』!?『下妻物語』
フランスでも公開された『下妻物語』 |
白馬のようにmoto(モト/バイク)にまたがるYanki(gangs de jeunes japonais/日本の若者ギャング)イチゴの口癖は、「悪いけど負ける気がしねーぜ!」。フランス衛兵隊のベルサイユ常駐部隊長Oscarの心意気を下品にすればその根っこもまた同じ(!?)ように聞こえます。
一方「comme des poupées de porcelaine, avec de jolis rubans et de la dentelle partout(至る所にかわいいリボンとレースがついた磁器のお人形のように)」着飾る Lolita桃子の口癖は、「できれば私は、ロココ時代のおフランスに生まれたかった」。この桃子が好きなものを映画『Kamikaze girls』のフランス語公式サイトからいくつかピックアップしてみましょう。
Rococoという言葉は、フランス語のrocaille(ロカイユ/小石→石や貝殻などをセメントでかためた庭園装飾)が語源とされており、微妙で優雅な曲線の変化をその特徴とします。基本的には18世紀のフランスで流行した装飾様式を指すのですが、人間に例えて、実直でシンプルな精神を「まっすぐ」とするならば、このゴージャスかつ病んでいるいるようにも思える美しさは、その前時代の文化baroque(バロック/歪んだ真珠)が発展し、よりいっそう「ゆがんだ」ものとしてイメージすることもできるでしょう。そして、このla mode Rococoも革命を機に衰退していきます。
進化した姫たち:ロリィタの登場
今や少女のおもちゃにも!ロリィタご用達ドデカ靴 |
革命時代にあったAntoinetteの華美と民衆の苦しみのギャップは、そのまま現代の日本社会とロリィタ少女とのギャップにつながってくる感じもします。ところで、このロリィタファッションとかつてのお姫様ファッションには、決定的な違いがあるのですがお気づきでしょうか?
それは、あの小さすぎるAntoinetteの靴と対比すれば簡単にわかるロリィタの靴。かわいらしさは共通するにしても、華奢さ繊細さという点では、まさに対極に位置します。それでは、問題をもう一つ。あれほどまでに実用性を無視しているロリィタファッションの中で、その分厚い靴だけが唯一実用に適するものとはなんでしょうか?
それは、なんといっても「蹴り」です。『下妻物語』で、白馬ならぬスクーターにのって現れ、イチゴを救うのはドレスが汚れて怒った桃子。現代の姫たちはすでに戦闘モード。革命時代に、自分の首を求めてやってきた民衆を前にしたAntoinetteがあの靴をはいてくるりと向きを変え、ベルサイユ宮殿に向かって「われ、いちびっとったら ほんま、いてまうぞ、こらっ~」と暴れ出したら、歴史はどうなっていたのでしょうか?
革命記念日を前にして、今私たちが手にしている自由とお姫様文化についてちょっと考えてみるのはいかがでしょう。「できれば私は21世紀のおジャポ~ンに生まれたかった……」と考えているのは案外Antoinetteの方かもしれませんね。
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