ナスカとフマナ平原の地上絵
代表的な地上絵には、クモ、イグアナ、ハチドリ、コンドル、クジラ、宇宙飛行士などがあるが、名前はすべて推定。写真は全長55mのサル ©牧哲雄
1939年、ナスカ台地を飛行機で飛んでいた考古学者コソックは、大地に描かれた巨大な地上絵を発見して驚愕した。不毛の大地に無数の直線が走っており、50~200mもの大きさで動植物や幾何学図形が多数描かれていた。人間や動植物絵が70以上、幾何学図形が700以上、直線に至っては数千から1万もあるといわれ、全長50kmに達する矢印もある。誰がなぜ描いたのかは不明だが、宗教儀式や歴史記録のためではないかと考えられている。
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ポトシ市街
奥の山がセロ・リコ銀山で、手前がポトシ市街。植民地時代に栄えた同じような鉱山都市には、ブラジルの世界遺産「古都オウロ・プレト」がある
16世紀、標高約4,100mのセロ・リコ山で先住民が偶然銀を発見する。この話を聞きつけたスペイン人が先住民を使って山を掘り進めると、世界最大の銀鉱脈に突き当たる。先住民と黒人奴隷を大量に投入して銀を掘り出すと、そのあまりの採掘量にヨーロッパはインフレにみまわれ、価格革命が起こるほどだった。一方、採掘作業は過酷を極め、数十~数百万の先住民や黒人が命を落としたとも伝えられており、「人を食う山」と恐れられた。
古都スクレ
チュキサカ県庁舎。スクレは現在も憲法上、ボリビアの首都だが、1890年代に国政機能はすべてラパスに移転した
16世紀前半、インカ帝国を滅ぼしたピサロが建設したといわれる古都。ポトシでセロ・リコ銀山が発見されるとスペイン人たちは標高の低いこの地に集まって銀の管理を行ったことから、銀の街=シウダ・デ・ラ・プラタと呼ばれた。1809年にチュキサカの乱が起こると独立運動は南米中に飛び火し、1826年、スクレを首都としてボリビアが独立した。昔から白い建物が多く、現在も条例で家の壁を白く塗るよう定められており、「白の街」と呼ばれている。
ティワナク:ティワナク文化の宗教的・政治的中心地
半地下神殿から見たカラササヤ。神殿の壁からは輪郭と表情が一つひとつ異なる人面像が多数飛び出している
紀元前からの歴史を持ち、11~12世紀前後に消滅したと見られる謎の文化、ティワナク。標高3,800mの豊かとも思えない土地に高度な石造文化が残されており、かつては都市機能を持っていたことが推測されている。遺構にはピラミッド状の建築物アカパナや、壁から多数の顔が突き出した半地下神殿、長方形に区切られて太陽の門が置かれているカラササヤなどがある。石像やレリーフはインカのものと似ており、後の時代に誕生するインカへの影響が指摘されている。