将棋道具に注目?
平成が幕を降ろさんとする頃、将棋界は大ブームの真っ只中だった。羽生善治の国民栄誉賞、藤井聡太の最年少記録、加藤一二三、豊川孝弘を始めとするプロ棋士のマスメディアでの活躍等により、将棋を楽しむ行為が大衆へと拡がっていく。観戦オンリー「みる将」の出現は特筆すべきことだろう。そこで今回は将棋を楽しむ全ての皆さんに観戦の一つのポイントを提案したい。それは、盤と駒、駒台などの棋具への注目である。ガイドしよう。タイトル戦で使われる棋具
最高峰のプロ棋士が死力を尽くす各種タイトル戦。そこで使用される棋具は、すべて主催者である日本将棋連盟(以下「連盟」と略)所有の物だとお思いではないだろうか?かく言うガイドは、そう思い込んでいた。もちろん連盟の物を使う場合もある。しかし、地方で行われるタイトル戦の多くは、その地方の蒐集家が提供する棋具を使用するのである。具体例をあげよう。
伝説の名人戦に使われた駒
将棋界でもっとも伝統のある名人戦。数々の名勝負が展開されてきたが、中でも永遠に語り継がれるだろうと言われる「世紀のライバル決戦・森内俊之VS羽生善治/2008年名人戦」は、NHKが「プロフェッショナル」という番組で特集を組み、DVD化されるほどの名勝負だった。この大勝負は、先んじて永世名人の称号を手に入れた森内に、羽生が挑戦する第66期名人戦。
衝撃的だったのは、両者1勝1敗で迎えた第3局だ。福岡県で行われたその対局は、終盤を迎え、名人・森内の圧倒的な優勢。だが、ここで、森内に痛恨のミスが出てしまう。愛棋家が様々な思いで語り継ぐ「9八銀」だ。後に「50年に一度の大逆転」とも言われ、羽生勝利につながる森内の悔やみきれぬ一手。このあと、羽生は名人位を奪取。永世名人への足がかりとなった対局である。
番組では、対照的な両者の表情がクローズアップされている。投了後、駒をじっと見つめる森内名人。読み、迷い、不安、そして決断。両雄のすべてのパッションを具現化した駒たち。実は、その駒は、大分県の蒐集家・K氏所蔵の物だったのだ。ガイドはK氏の自宅を訪ね、話を聞いた。
対局者による検分
有田:『どうぞ、よろしくお願いします』K氏:『こちらこそ、よろしくお願いします』
にこやかに迎えてくれたK氏。
有田:『あの伝説の森内・羽生の名人戦第3局にKさんの駒が使われたと聞きましたが……』
K氏:『そうなんです。光栄なことに、あの対局で使っていただきました。ちなみに盤や駒台などは友人の物です』
有田:『僕はプロのタイトル戦は、すべて日本将棋連盟(以下連盟)の棋具が使用されるものだと思っていたんです』
K氏:『有田さんでさえそうなんですから、多くの方がそうだと思います』
有田:『そもそも、どの盤駒を使うのかということは、どうやって決まるのですか?たとえば、連盟のスタッフの方が決定するとか……』
K氏:『まずですね。開催される地方を中心に、私達、蒐集家が盤や駒などを提供するのです。その中から、対局されるプロ棋士のお二人、また立会人の方も含め、実際にご覧になられて決定されていくのです』
有田:『では、伝説の名人戦でKさんの駒を森内さんと羽生さんが実際に選んだということですか!』
K氏:『そうなんです。その時の立会人が深浦康市先生でして、大御所の加藤一二三先生も来られていたのですが、先生も検分前に観てくださいました。駒の説明をしましたところ、大変興味深く聞いてくださいました』
K氏の言葉にあるように、棋具の選択も含め、対局場の状態を整える全般を「検分」と呼ぶ。極端に言えば、将棋は紙の盤に、ダンボールの駒でも対局できる。だが、奈良平安の昔から伝わる将棋は、日本独特の文化として熟成され、今日にいたり、いわゆる歴史の重みを持っている。その重みを熟知しているのが蒐集家の皆さんだ。
K氏は日本文化の象徴として木の文化に惹かれ、棋具の蒐集を始めたと言う。そして、伝えていくのがプロ棋士の重要な責務の一つだ。この66期名人戦第3局にも複数の棋具が提供され、「検分」によりK氏の駒が選ばれた。画像は加藤の様子である。
こちらは、検分に訪れた対局者の二人と立会人である。なんとも豪華なメンバーだ(右:羽生挑戦者、左:森内名人、左から2番目:深浦立会人)。
そして、実際の対局の様子が下の写真である。
芸術としての駒
理屈抜きに美しい。だが、理屈を知れば、もっと深くなる。野暮を承知で聞いてみた。有田:『息を呑むような美しさですが、説明をお願いできますか』
K氏:『はい、この駒は「御蔵島(みくらしま)柘植(つげ)・虎班(とらふ)盛り上げ駒・大竹竹風(おおたけ ちくふう)作・菱湖(りょうこ)書』なんです』
K氏の説明を元に、この言葉をガイドしよう。御蔵島とは伊豆諸島に属し、手塚治虫の『ブラックジャック』に登場したこともある島だ。柘植は、童謡『こぎつね』の「モミジのかんざし、ツゲのクシ」というフレーズで子どもたちにも親しまれている樹木。英名は「BOX」。つまり箱である。
くしのように細かい加工にも適し、硬く成型後に変形しにくいことから箱にも最適。洋の東西を問わず、重宝される素材だ。また、その色艶から、御蔵島の柘植は将棋駒の素材としては最高級とも言われている。そして、その部位によっては、虎のような縞模様が浮き上がる。これが虎斑だ。画像でおわかりいただけると幸いである。
そこに駒師・大竹竹風が菱湖という書体で彫り込み、漆を塗り重ねていく。次第に漆字が駒の表面より盛り上がる。これぞ盛り上げ駒。作者が駒の底部に銘を入れ、完成となる。まさしく自然と駒師が一体となって作り出す幻想的な美。ガイドも惹き込まれてしまったが、そこで、K氏から驚きの言葉が。
用の美-躍動する芸術
K氏:『有田さん、観るだけじゃなく、実際に手にしてみませんか?』有田:『ええっ!触ってもいいのですか?』
驚きであった。世の芸術の多くが厚いガラスの向こうに展示されているではないか。プロ棋士でもない自分が触ってもいいのだろうか!?ドギマギするガイドにK氏は微笑む。
K氏:『もちろんです。駒は文化であり芸術ですが、使い込んでいくその中から生まれてくる「用の美」に味があるのです』
おそるおそる王将を持ち、盤に置いてみた。
K氏:『森内先生が使ってくださった王将ですね。では私は羽生先生の……』
と玉将を手にした。そして、こう加えた。
K氏:『銀将を観てください。微妙ですが、すり減っているんですね。これ、やはり一番打ち込まれる駒だからでしょうか……』
なるほど、である。絵画はできるだけ、創作時の保存状態を維持しようとする。しかし、駒は躍動する芸術なのだ。そこに死闘という情念を集め、なお、いっそう美しさを増す。ところで、K氏は、この一戦以外にも棋具を提供している。稿末に資料として紹介しているので、ぜひ、ご覧頂きたい。氏の棋具が将棋史に残る勝負に関わってきたことがおわかりいただけると思う。
有田:『いろいろな駒をお持ちですが、特にお好きな駒というのがあるのですか?』
K氏:『すべての駒に作者の思いが込められていますが、個人的には児玉龍兒さんの作品に特に惹かれます』
これも稿末資料を御覧いただきたい。児玉作品は、名人制度400年目の名人誕生の対局に使われている。
おもてなし
有田:『最後に、ご自分の駒が歴史に残る戦いに選ばれたことについて、どのようにお思いですか?』K氏:『それは、大変嬉しいことです。でも、それ以上にプロ棋士の方々が、私達の地方に来てくださるということへの感謝と、いわば、おもてなしの気持ちで、少しでも、先生方に喜んでいただけたら幸せですし、そういう貢献ができたら喜びです』
取材に快く応じてくれたK氏に感謝します。そして皆さん、中継などの観戦時にはぜひ棋具に注目していただきたい。もう一つ。これは中継のスタッフの方にお願いです。ぜひ、中継時に棋具についての説明を付け加えてほしいです。最後までお付き合い、ありがとうございました。
資料-K氏の棋具提供例
1.2010年 5月18日19日 福岡市中央区桜坂3-6-4 城南クラブ「68期名人戦第四局」
羽生善治名人 三浦弘行挑戦者
盤:日向榧・天柾6寸八分/製作者・宮崎市 斯波勝
駒箱と駒台:島桑杢材拭き漆仕上げ/製作者・東京都 奥山正直 (島桑の島は御蔵島)
2.2010年 8月10日11日 佐世保市谷郷町5-32 ホテル万松楼
「51期王位戦第四局」
深浦康市王位 広瀬章人挑戦者
駒:御蔵島/柘植/赤柾/盛り上げ駒/思眞作/錦旗書
3.2012年 6月12日13日 北九州市小倉北区古船場3-46 ホテルニュータガワ
「70期名人戦第六局」
森内俊之名人 羽生善治挑戦者
名人制度400年目の名人誕生。
盤:日向榧・天柾6寸八分/製作者・宮崎市 斯波勝
駒箱と駒台:島桑杢材拭き漆仕上げ/製作者・東京都 奥山正直 (島桑の島は御蔵島)
駒:御蔵島柘植/班入り柾目/盛り上げ駒/拭き漆仕上げ/児玉龍兒作/錦旗書
敬称に関して
文中における個人名の敬称について、ガイドは下記のように考えています。- プロ棋士の方の活動は公的であると考え、敬称を略させていただきます。ただし、ガイドが棋士としての行為外の活動だと考えた場合には敬称をつけさせていただきます。
- アマ棋士の方には敬称をつけさせていただきます。
- その他の方々も職業的公人であると考えた場合は敬称を略させていただきます。
文中の記述/画像に関して
- 文中の記述は、すべて記事の初公開時を現時点としています。
- ガイド撮影の画像については、すべて個人情報の取扱において許可を得ています。