ステルス能力の凄さ

狙撃手ゴルゴ13。さいとう・たかおが生み出した劇画界のレジェンドヒーローだ。彼は、足音を立てずに背後から近づく者を反射的に殴る。たとえ彼への依頼者であったとしても、問答無用のパンチを炸裂させてしまう。これはゴルゴがそういうシーンを一番恐れていることの証左に他ならない。

幸い、これまでに、そのパンチを逃れた者はいない。つまり、完全に気配を消し切れた者は存在しなかったのだ。逆に言えば、もし、そんな者が出現すれば、それはゴルゴと同等、いやゴルゴさえもしのぐ能力を持つ者となることを意味する。

現実世界の戦闘にしても同様だ。レーダーが発明された第2次大戦以来、最強の戦闘機はその気配を消すことができる物となった。いかに強力なミサイルを搭載しようとも、敵に発見されればおしまいなのである。だから、各国は開発に躍起になった。戦闘機の世界はステルス(隠密)機の誕生へとステージが移っていったのだ。トロイの木馬しかり、忍者の隠遁の術しかり、戦いにおいては「気配を消す」ということが古今東西のキーワードなのである。

現代における戦いの世界、将棋界に目を移そう。森内俊之はまさしく棋界のステルス戦闘機なのである。

外見も実績も目立つ男

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タイトル戦の前夜祭での森内俊之


実際の森内は決して小柄ではない。身長は176cm、体重は76kgである。身長は「プロレスの父」力道山と同じであり、ゴルフの石川遼を3cm上回る。トップテニスプレイヤーの錦織圭とは身長体重ともに、ほぼ同じ体格だ。かように、プロスポーツ選手と比較しても遜色のない体つきだから、棋士の中に入れば、いやおうなしに目立つ。

外見だけではない。実績に目をやっても、目立つことこの上ない。彼は永世名人の資格を持つ棋士なのである。名人制度が世襲制から実力制に移り約100年が経つが、森内がその称号を獲得するまでには、わずか4人しか到達できなかった頂上だ。

ちなみに、この称号は子どもの頃からのライバルとされる「猛手」羽生善治よりも先に獲得している。また棋界の最高峰のタイトルとされる竜王位と名人位、この2つを同時に保持したこともあるスーパー棋士でもあり、圧倒的な棋歴は「目立ちすぎ」なのである。

口癖というステルス

だが、森内は、みごとに気配を消す。まず、機会あるたびにこう語る。

「誰か輝いている人がいて、自分は脇役という構造がしっくりきます」

「自分にはトップ指向がありません。できる人の下で自分をいかしてもらいたい」

下記の本にその言葉の背景も含めて詳しい。一読をおすすめするムックだ。


将棋の世界は弱肉強食、究極の個人勝負の世界である。しかも、プロとなっているのは幼い頃から神童とあがめられ、その中を勝ち進んできた、ほんの一握りの超天才なのだ。もちろん森内もその一人である。棋界の頂点に君臨する永世名人、主役中の主役なのだ。そんな彼が「自分は脇役がしっくり、トップ指向がない」と語るのだ。

謙虚な実力者は、どの世界にもいる。たとえば、「まだまだ、道半ばです」と語る人間国宝はたくさんいるし、だからこそ第一人者なのだろう。その謙虚さは、至上を求めて止まぬ情熱の発露なのである。しかし、森内の言は謙虚さから発しているのではない。心の奥深いところからにじみ出た「一歩も二歩も引いている」言葉なのだ。口癖が、あたかもトップという気配を消し去るかのような言動となっている。

これには、いろんな訳があるだろう。一つには「盤上の猛獣」羽生善治という存在がある。小学生時代からのライバルであり、ともに同じ研究会<島研/主催:「初代竜王」島朗>で脳に汗を流した仲である。だから、森内は羽生の強さを知り尽くしている。それゆえ、前述のような言動が自然に漏れるのかも知れない。

だが、棋士にとって最も大切なタイトル戦で、森内は羽生から3タイトルを連続奪取したことがある。つまり羽生のタイトル戦の最大の障害が森内なのである。換言すれば、現在の将棋界のタイトル戦の主役は森内なのだ。にもかかわらず、この言動である。もはや持って生まれたステルス資質としか言いようがない。

「優駿流」というステルス

森内の祖父もプロ棋士であった。京須行男八段である。プロ棋士の遺伝子を持つ男なのである。ゆえにであろう、彼はこう呼ばれる。「優駿流」……。しかし考えてみてほしい。「優駿流」と言う言葉は逆に、森内とその将棋を不明なものにしてはいないか。

例えば、米長邦雄の「泥沼流」は局面を複雑な形に引きずり込み、あたかも泥の沼で戦うがごとき様相から名付けられている。谷川浩司の「光速流」、内藤国夫の「自在流」、佐藤康光の「緻密流」なども、なんとなくその名前から棋士達の将棋が浮かんでくるのではないか。あえて言わせてもらうならば、「優駿流」は森内の将棋を霧で包むステルスワードの役割をしているのだ。

鉄板流というステルス

森内は「優駿流」の他にも異名を持っている。「鉄板流」である。これならば、その将棋の輪かくが伺えるだろう。そう、相手の弾丸をはじき返す鉄板のように固い守り。敵の攻撃をしのぎきり、守り勝つ。森内の将棋が姿を現したかのようだ。ところがである。ところが、この「鉄板流」も逆に森内将棋をステルスしているのだ。なぜか?森内自身がこう語っている。

「鉄板流という言葉は、私の将棋から、ほど遠いと感じています」 

いかがであろうか。こうなると、森内の将棋はまさしく藪の中である。棋風のネーミングは将棋関係者によって行われる場合が多い。つまり、専門家によって名付けられるのだ。そして、それをファンが受け入れることによって定着する。言わば、吟味されたものである。だが、それを「ほど遠い」と言ってのける、いや、この表現は語弊がある、申し訳なさそうに語るのが森内なのだ。

「Q&A」におけるステルス

前掲のムックに「Q&A」が掲載されている。ファンの質問に森内が答える形式だ。ここでもステルスが味わえるので、少し紹介しよう。

Q1. 得意な家事は何ですか
A1. 水やり

私はひっくり返った。水やりとは家事なのか。たとえそうだとしても、得意か不得意かに分けられるようなものなのか。森内は家事をどうとらえているのだろう。まさしく家事においてもステルスだ。さらに続けてお読みいただきたい。

Q2. 好きな花は何ですか
A2. 白い花

Q3. 犬や猫を飼ったらどんな名前をつけますか
A3. 飼おうと思ったことがないので思いつきません

Q4. 一番苦手なことは何ですか
A4. 人前で話すこと

いかがであろうか。森内自身は誠実に答えている。それが、痛いほど伝わってくる問答である。だが、どことなくステルスではないか。

「天然隠密流」森内俊之

かように森内は日常でもステルス化する。それは、意図したものではなく、自然と醸し出されるものなのだ。トップを狙わないというような言葉に、勝負師としての疑問や不満を感じる方もいるかも知れない。だが、合気道の達人は己の気配を完全に消し去ることができるという。森内もその域に達しているのではないか。いや、達しているからこその「永世名人」なのである。

ここまで、森内の強さの秘密、ステルス化をガイドしてきた。今こそ、私は森内に、ステルスを元に、なおかつ日本の伝統文化らしく、「天然隠密流」という異名を新提案したい。私は森内ファンである。余談になるが、私の娘も森内ファンである。彼女は幼い頃に、「森 内科」という病院の看板を見て「もりうちか」と読み違えたほどのファンなのだ。

ファンとして言いたい。森内を見るということ、楽しむということ、一緒に歩むということは、そのにじみ出るステルスぶりを味わうことなのだ。逆説じみているが、消し去るというステルスで魅せる男、それが「十八世名人」森内俊之、その人なのである。

【敬称に関して】
文中における個人名の敬称について、ガイドは下記のように考えています。

  1. プロ棋士の方の活動は公的であると考え、敬称を略させていただきます。ただし、ガイドが棋士としての行為外の活動だと考えた場合には敬称をつけさせていただきます。
  2. アマ棋士の方には敬称をつけさせていただきます。
  3. その他の方々も職業的公人であると考えた場合は敬称を略させていただきます。

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