小学生時代に起きた、仮面ライダースナック問題

ガイド所蔵のライダーカード

ガイド所蔵のライダーカード


仮面ライダースナックをご存知だろうか?大手製菓企業カルビーが1971年から1973年に発売したスナック菓子である。一袋買うと、仮面ライダーのキャラクターカードが1枚ついてくる。このカードに当時の小学生たちは夢中になった。何を隠そう、ガイドもその“当時の小学生”のひとりである。

一方で、この仮面ライダースナックは“ある問題”も引き起こした。その日、ホームルームで担任のシズカ先生は眉間にしわを寄せて、こう話したのである。

「今、問題が起きています。仮面ライダースナックのカードだけ集めて、お菓子を食べずに捨てる人がいるんです。知ってますね。食べ物を粗末にする人には、バチが当たります。おまけのカードに惑わされず、ちゃんとお菓子を食べなさい」

子供心に、なんだか結論がおかしいのではないかとは思うと同時に、ガイドの脳裏には、ある同級生の名が浮かんだ。その男ヒトシは「いやあ、いっぱい貯っちゃって困るなあ」などと言いながら、ことあるごとにおびただしい数のキャラクターカードが収められたカードアルバム(このアルバムも、ラッキーカードを引き当てた者だけに与えられるプレミアムアイテムだった)を我々に自慢していたのである。

「ヒトシだ! 絶対そうだ。あんなにたくさん食べるなんて無理だ!ラッキーカードが当たったヒトシ。次に当たるのはバチだ。当たってくれ!」

絶望に変身した羨望が、邪悪なる願望にヘーンシン。私は己にショッカーを見た。

「ひふみん」というカードに魂を奪われたガイド

お待たせしました。ここで、加藤一二三(ひふみ)である。愛くるしい外見とその愉快な言動もあり、大人気の棋士・加藤一二三。対局日のうな重、チョコレート、バナナから、駒音、ネクタイの長さまで話題にされる「ひふみん」だ。正直に言おう。私もいろんな意味で楽しませてもらった。だが、いや、だから言いたい、懺悔したい。

うな重は加藤の定番

うな重は加藤の定番


私は、あの時のヒトシだった。加藤にまつわるエピソードは、たしかにファニーで、集めればキリがない。ネットを検索すれば「ひふみん伝説」が山のように積まれており、腹を抱えることができる。それらを集めたガイドは、それを知人に家族に披瀝した。鼻の穴を広げた私は、紛れもなく、あの時のヒトシだ。加藤という本体よりも「ひふみん」というカードに魂を奪われていた。

それでもAll Aboutが誇る将棋ガイドか!……えっ、誇ってないって?それは重箱の隅だ。とにもかくにも、私は語らねばならない。加藤一二三の本体、本質を。

私は何度かプロという存在を定義した。プロとは、その全景を見るものの解釈に委ねる存在。さらに、「事実は存在しない。解釈だけが存在する」というニーチェの言葉をたよりにガイドしたい。まず、書こう。加藤とニーチェは真逆である。

洗礼そして騎士

「神は死んだ」とニーチェは語った。しかし、加藤は真逆の「神とともに生きる」人間である。1940年福岡に生まれ、史上最年少棋士・史上初の中学生棋士となった加藤。その強さからつけられた異名が「神武以来の天才」だ。若干18歳でA級棋士、つまり、棋士の最高峰、名人位に挑戦できる資格を得る。イケイケの20代、絶頂期。彼は、こう考えたと言う。

「将棋だけで生きてきたが、この辺で宗教を持つべきではないか」

30歳になり、彼は入信する。カトリック教会の洗礼を受けたのだ。洗礼名はパウロ。翌年にはバチカンに渡るほどの敬虔な信者となり、棋士仲間から「パウロ先生」と呼ばれるようになる。その後、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世から聖シルベストロ教皇騎士団勲章を受章。騎士となった加藤は語る。

「有事の際には馬に乗って駆けつけなければならない」

バチカンに駆けつける

バチカンに駆けつける


現在、体重100キロを越え、エアロバイクに乗ることさえままならぬ加藤が馬に乗って駆けつける。まるで仮面ライダー。どんな難題でも解決だ。将棋界のタイトルを獲得するノリノリの30代を神とともに生きた加藤。宗教というベースを抜きに加藤の本質は語れない。

では、なぜ加藤はキリスト教を選んだのか。もちろん神の導きである。ならば、その導きとは何であったのか?将棋に生きてきた人間が、なぜ?

加藤一二三の代名詞とも言える「棒銀戦法」とは?

画像をご覧いただきたい。『棒銀の闘い』、大泉書店1977年10月1日、22版発行である。必死に読んだガイドの愛蔵書だ。

ガイドの愛蔵書『棒銀の闘い』

ガイドの愛蔵書『棒銀の闘い』


「棒銀」とは将棋における一つの戦法。愛棋家の端くれ、ガイドが読んできた中で、最高に詳しい棋書である。全てのページに局面図が描かれ、先手後手の手順がぎっしりとしっかりと、今風に言えばガッツリ書き込まれている。「棒銀」に関する全てのシミュレーションが詳述されているのだ。そして、最後にはこうある。

「本書の内容について疑問がおありでしたらお寄せください。折り返しお答えいたします。加藤一二三」

至れり尽くせり、完璧である。 当時、著者の加藤は37歳。最高に油の乗った頃だ。余談だが、表紙の加藤、後の大横綱「ウルフ」千代の富士に似ている気がするのはガイドだけではない。ガイドのかみさんもそうだ。まさしく勝負師共通の面構え。

実はこの「棒銀」戦法、初心者向けの戦法とも言われているのである。本のサブタイトルに「初段をめざす」とあるのも頷ける。画像をご覧いただこう。これは『棒銀の闘い』に加藤が例示した局面の一つだ。

棒銀戦法

棒銀戦法


「飛」を後ろ盾に「歩」と「(右)銀」が棒のように並び、敵陣を突破する戦法。ゆえに「棒銀」である。あっ!「飛(ひ)」「歩(ふ)」「右銀(みぎぎん)」の頭文字をつなげれば「ひ・ふ・み」。ひえー。

ゴホン、失礼しました。「棒銀」は大変わかりやすく、実際に私も、そして私の周りの多くの愛棋家も最初に取り組んだ戦法なのである。ところが、加藤は……。

羽生善治が「棒銀戦法」に感じた不気味

将棋にはいろんな戦法がある。ある戦法が開発されれば、研究され、対策が講じられる。だから常に新しい戦法が研究開発されている。だが、加藤は「棒銀」にこだわった。初心者の戦法とも言われる「棒銀」に、プロとして大成した後も。羽生善治は加藤の「棒銀」をこう語っている。

「あそこまで同じ戦法を貫かれると不気味ですらあります」

「不気味ですらあります」と羽生

「不気味ですらあります」と羽生


「猛獣」羽生をして「不気味」と言わしめるほど使い続ける「棒銀」。 なぜ、そこまで。しかも自身がつねづね語るように、「棒銀」での勝率は3割なのである。それでも「棒銀」こそが最高であると確信し、指し続ける加藤。

「負けたのは私が弱いからで、棒銀が弱いわけではない」

極論を許していただこう。加藤にとって、将棋は「棒銀」を貫くステージだ。そのこだわりは、どこから来るのか。これまたガイドなりの解釈をしたい。

加藤一二三のあふれる“一途”さ

加藤は一途である。透明なコップを思い浮かべてほしい。そこに一途という水がエネルギッシュに注がれ続けている。それが加藤だ。いつでも、どこからでも、誰にでも加藤の一途は見える。

あふれる一途

あふれる一途


そして、コップからあふれる一途は、例えば対局中の食事となる。一度ウナギと決めれば、これでもかとばかりにウナギ。例えば、ネクタイ。長い方が良いと考えれば、正座で畳に着くようなものにまでたどり着く。もちろん、これは、あふれた部分。コップの中のに残る本質は「棒銀」と「カトリック」だ。 だが、「ひふみん」も、けっしておまけのライダーカードではない。ほとばしる一途の発露だ。 

一途の帰結

加藤一二三/ガイド画

加藤一二三/ガイド画


加藤にとって一途を突き詰めれば、宗教は一神教だった。八百万の神々がいる神道や、複数の如来が説く仏教ではない。加藤は唯一神だけが信仰の対象となるキリスト教へと導かれた。そして、突進する。教皇から騎士と認定されるほどに。

さらに加えるなら、将棋も一神教的な面を持つ競技である。囲碁と比べると分かり易い。囲碁はどの石も同列、同格だが、将棋は「王将」だけが全ての勝敗を決する特別な存在だ。

一途な加藤が将棋を知り、「棒銀」に惹かれ、頂点にたどり着こうとした時に出会ったキリスト教。これは、偶然ではなく当然の帰結、いわゆる導きであったろう。まっすぐな一本道だった。 

一途に生きてきた加藤。ガイドは村山聖の記事『だめだよ村山くん』に「村山は人間くさい将棋指しの最終ランナーだ」と書いた。そして、今、書こう。加藤は人間くさい将棋指しの最長ランナーである。だから、まぶしい。

加藤はプロ棋士だ。ゆえに私たちは加藤を楽しむ権利を与えられている。そして、加藤を楽しむということは、その徹底した一途ぶりを味わうことである。

引退に……

しかし、加藤は棋士を引退するという。年齢制限に関する規約により引退を余儀なくされたのだ。加藤は語る。

「私はすごく立派な将棋を指し、私も感動する立派な将棋を指してきた。今日は別に負けてもいいよと思ったことは一回もないんです。すべて勝つために努力して、今日まで来た。この気持ちには、これからも変わりはないんです」

もし、と思う。もし、私がもっと一途で、そして臆病でなかったら……私は馬に乗り日本将棋連盟に駆けつける。そして、加藤を引退させるという規約を見つけ出し、壁に貼る。

ガイド所蔵のライダーカードより

ガイド所蔵のライダーカードより


その後は、そう、壁に向かって放つのだ!ライダーキーック!

お付き合いいただき、ありがとうごいざいました。

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追記

「敬称に関して」

文中における個人名の敬称について、ガイドは下記のように考えています。

  1. プロ棋士の方の活動は公的であると考え、敬称を略させていただきます。ただし、ガイドが棋士としての行為外の活動だと考えた場合には敬称をつけさせていただきます。
  2. アマ棋士の方には敬称をつけさせていただきます。
  3. その他の方々も職業的公人であると考えた場合は敬称を略させていただきます。

「文中の記述に関して」
文中の記述は、すべて記事公開時を現時点としています。

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