心の不調が身体の不調に……全身の気の巡りを妨げるストレス
多くの方が、何らかのストレスや不調を感じている現代。「ストレスは万病のもと」と言われますが、漢方の考え方でも、ストレスやそれによる感情の起伏は健康を害すると考えられています。特に「精神的なストレス」は、「気」の巡りを悪化させてしまうと考えられているものです。
この「気」とは生命エネルギーのようなものだとイメージしていただくとわかりやすいと思いますが、心身の健康は、気が充実していて、なおかつ全身をスムーズに巡ることで保たれています(詳しくは「気・血・津液・精とは……漢方的な健康の考え方」をご覧ください)。この「気」が滞ってしまった病的状態を「気滞(きたい)」と呼びます。
気滞の主な症状……憂うつ感・緊張感・膨満感・消化器系の不調など
気滞における代表的な症状は、憂うつ感や過剰な緊張、全身の膨満感(ぼうまんかん)、消化器系の不調などです。私の営む漢方薬局でも、年々確実にメンタル系のご相談が増えています。生薬の在庫や注文数を確認すると、気を巡らす作用がある生薬の消費量がぐんぐん伸びているのに驚かされます。気の流れが悪くなると、抑うつ状態といった精神面のトラブルだけではなく、肉体的な不調も多発するようになります。具体的には胸や腹部に膨らんだボールが詰まっているような不快感である膨満感が代表的です。
他には吐気や嘔吐、食欲不振、胃痛や腹痛、胃腸の張り感、下痢や便秘、首こり・肩こり、頭痛や頭重感、胸苦しさなどが挙げられます。
このように気の巡りが悪化すると心身両面に非常に多彩な症状が引き起こされてしまうのです。実際、気滞に陥っている方の漢方相談を受けると、問診票が真っ黒になるほど、様々な体調不良を箇条書きで訴えられるケースも少なくありません。
ある意味、鵜の目鷹の目で問診票とにらめっこせずとも、眺めるだけで「この方の気は相当停滞しているな……」とわかることもしばしばです。それでは以下で、気滞改善のためによく使われる漢方薬は、半夏厚朴湯、逍遥散、柴胡加竜骨牡蛎湯、抑肝散などです。それぞれの具体的な効果について、以下で解説します。
半夏厚朴湯(はんげこうぼくとう)の効果…喉のつまり感をともなう憂うつ感に
半夏厚朴湯は、憂うつ感にくわえて喉や胃、そして腹部の張り感などを解消する作用があります。特にストレスを受けたときに現れる喉に何かが詰まっているような不快感を改善する効果があります。
漢方の世界ではこの喉の不快感を「梅核気(ばいかくき)」、または「咽中炙臠(いんちゅうしゃれん)」とも言います。西洋医学では「ヒステリー球」や「咽喉頭異常感症(いんこうとういじょうかんしょう)」とも呼ばれます。
梅核気とは「梅の種が喉に詰まっているような状態」を、咽中炙臠はやはり「喉にあぶった肉が引っかかっているような状態」を表現しています。それぞれ独特の言い回しで不快感が表現されています。
また、半夏厚朴湯の効果は、これらの「喉の不快感」の解消ばかりが注目されがちですが、それ以外にもストレスがかかった状況下での吐気や嘔吐、ゲップ、食欲不振、咳、胸苦しさなどにも有効です。
逍遥散(しょうようさん)の効果…生理前のイライラ感や気分の沈みに
逍遥散は生理前に顕著に体調が悪化する月経前症候群(PMS)にしばしば用いられます。PMSの代表的な症状としてはイライラ感や気分の沈み、気力の低下、不眠、身体症状では胸の張り感や痛み、重だるさなどが見られます。処方名に含まれる「逍遥」とは気分よく散歩することを指しています。逍遥散を服用すれば気もスムーズに巡るようになり、身体も軽くなることを表現しています。
逍遥散はPMSだけではなく、ストレスによって悪化する消化器系のトラブルにも有効です。当薬局ではプレッシャーがかかるとお腹が痛くなり、何回もトイレに行ってしまうような過敏性腸症候群の方によく服用して頂いています。
なお、イライラ感や怒り、顔のほてりといった「熱っぽい症状」が顕著な場合は牡丹皮(ぼたんぴ)と山梔子(さんしし)を逍遥散にくわえた加味逍遥散(かみしょうようさん)がより有効です。
柴胡加竜骨牡蛎湯(さいこかりゅうこつぼれいとう)の効果…不安感や動悸に
漢字が連続していて一般の方には読みにくい漢方薬のひとつでもある柴胡加竜骨牡蛎湯。その名前の通り、代表的な気の巡りを改善する生薬の柴胡(さいこ)、竜骨(りゅうこつ)、牡蛎(ぼれい)などを含んだ漢方薬です。竜骨や牡蛎には気分を落ち着ける作用の他に動悸を鎮める作用もあります。したがって、柴胡加竜骨牡蛎湯は不安感から動悸がしたり、その動悸によって不眠になったり焦燥感が高まりやすい方などに有効です。
柴胡加竜骨牡蛎湯には注意が必要な点があります。それは同薬には大黄(だいおう)という生薬を含んだものと含まないものが存在する点です。大黄はイライラ感やのぼせ感を鎮める作用がある他に便通を促す作用もあります。
したがって、普段から軟便傾向や腹痛を起こしやすい方は「大黄なし」の柴胡加竜骨牡蛎湯を選択する必要があります。この点を注意すれば柴胡加竜骨牡蛎湯は精神状態の安定化にくわえて、胃腸の状態を整えて体力向上も期待できる優れた漢方薬です。
抑肝散(よくかんさん)の効果…イライラ感にともなう頭痛やふるえに
処方名からしばしば「肝臓の漢方薬」に勘違いされてしまう抑肝散。この「肝」は西洋医学的な肝臓ではなく、漢方独自の概念であり、気の巡りをコントロールする五臓六腑(ごぞうろっぷ)のひとつです。
肝は精神的ストレスによってダメージを受けやすい存在で、結果的に気の流れが暴走してしまいます。この病的状態を改善するという意味が込められたのが「抑肝散」という名の由来です。
特に抑肝散はイライラ感などにくわえて頭痛、めまい、ふらつき、首こり・肩こりといった上半身に起こるトラブルへの対応を得意としています。他にも抑肝散は小児用の漢方薬として生まれた経緯があり、しばしばお子様のカンシャクや怒りっぽさに使用されます。無論、小児限定というわけではなく、大人の方が使用しても大丈夫です。
なお、上記のような症状にくわえて吐気や嘔吐、食の細さ、腹部の張りなどが目立つ場合は、抑肝散に半夏(はんげ)と陳皮(ちんぴ)を追加した「抑肝散加陳皮半夏(よくかんさんかちんぴはんげ)」がより適しています。
おわりに
人間関係や仕事内容の複雑さが増している今日において、気滞と無縁の方というのは少ないのではないでしょうか。気滞の状態を長く放置していると、気の巡りだけではなく、気の不足や血の巡りの悪化などを引き起こしてしまいます。漠然とした憂うつ感が晴れず、身体の調子もいまいちという方は漢方薬をぜひ試して頂きたいと思います。お時間がある方は、気滞とも関連することがある気虚(ききょ)について解説した記事「だるい・疲れやすいときの漢方薬…「気虚」の改善効果」もあわせてご覧ください。