充実感がないのは「夢中になれる何か」がないから?
どこか満たされない思いがあるのは、「夢中になる体験」が足りていないせいかもしれません
それをやっている間は我を忘れて没頭し、あっという間に時間が過ぎ去る。その後には充実感があり、自分がよりよく変化したことを実感する……。こうした体験を得たとき、人は心から幸福感を得られるものです。
夢中になる体験と幸福感との関係に関する研究は、1990年代頃よりポジティブ心理学の領域で発展してきました。その中心的存在に、米国の心理学者 M.チクセントミハイがいます。彼は、人間が何かの行動に没頭したり夢中になったりすることで、深い楽しみの感覚を覚える体験を「フロー体験」と名付けました。
「やりたいこと」に没頭しにくい現実の背景にあるもの
「夢中になる体験なんて、何一つ思い浮かばない」という人も、子どもの頃には、何かに夢中になった体験が一つはあるのではないでしょうか?たとえば、昆虫採集や鬼ごっこに夢中になり、野山を駆け巡っていた子。広告の裏に、飽きもせずに落書きをしていた子。本が大好きで、閉館ギリギリまで図書館にこもっていた子。折り紙や工作が大好きで、時間さえあれば何かを作っていた子――。無邪気な子どものたちは、心のときめきにしたがって夢中になることを発見し、体験できる“天才”です。
では、このように子ども時代には思い切り「夢中」を体験できていたのに、なぜ大人になるとその感覚を忘れてしまうのでしょう。それは、人間には成長と共に「やりたいこと」より「やるべきこと」を優先させなければならない場面が増えてくるからです。
必要なこととはいえ、日常が“義務”ばかりで埋め尽くされると「私は何のために生きているのだろう?」と、人生に対する疑問が生じてしまいます。また、自分が本当に好きなことは何か、充実感を得られることはが何かがわからなくなり、生きることへの虚しさや徒労感が募りやすくなってしまいます。
「夢中」を体験した後に残る感情に注目しよう
何かに夢中になった後に「後悔」の気持ちが残ったら、その体験が本当に必要だったのか振り返ってみましょう
たとえば、一晩中ある娯楽に没頭していたとしても、翌朝「なぜこれに朝までのめりこんでしまったんだろう」というため息が湧き、「時間を無駄に使ってしまった」という後悔ばかりが強く残ってしまう場合、それが自分にとって本当に有益で必要な体験だったのか、振り返る必要があります。
もちろん、単なる「気晴らし」として意味のないことに没頭する時間も必要です。ただし、1日は24時間しかありません。どんな活動でも何かに没頭すると時間をハイスピードで消費しますので、娯楽に集中する時間が増えると、貴重な1日があっという間に過ぎ去ってしまいます。
それだけではありません。気晴らしをストレスからの逃避という目的でたびたび利用していると、複雑な課題、困難な課題に立ち向かい、対応できる力が育ちくくなってしまいます。
「夢中になるこころ」を活用し「新しい何か」を生み出す
したがって「夢中になるこころ」を、気晴らしやストレスケアといった消極的な目的だけに活用するのは、とてももったいないことなのです。むしろ、「自分をよりよく成長させること」「今までにない新しい何かを創造すること」といった積極的な目的に向けて活用していくことにより、人生は格段に輝き始めます。そこで、自分自身の「夢中になるこころ」をどのような領域で積極的に活用できるのか、じっくり考えてみましょう。たとえば、次のような領域で活用できないか、検討してみてはどうでしょう。
■興味があっても、今まで手をつけられなかった分野
以前からやりたかったけど、時間がなくてなかなか手がつけられていないことはありませんか? たとえば、何かを深く学んでみること。新しい分野の知識を広げること。学ぶことに夢中になると世界が広がり、同じように学ぶ人々のこころと相互作用できる機会も増えていきます。
■仲間との創造活動や社会貢献につながる活動
メンバーそれぞれの「夢中になるこころ」を一つのプロジェクトに向けていくと、大きな課題の実現が可能になります。お互いの「夢中になるこころ」を共鳴させることで、感動や達成感は何倍にも膨らみます。仲間とのディスカッションに夢中になれば、各人の思考の相互作用によって、新しい価値のある物事の創造、社会貢献につながる活動へのビジョンが広がります。
子どもの頃に何かに夢中になった記憶を思い出し、誰もが本来もっている「夢中になるこころ」を人生にぜひ積極的に活用していきましょう。そうして今までの自分が経験してこなかった「新しい何か」を生み出し、社会にも役立つ物事を創造していきませんか?