「なりたい自分になること」が本当の自己実現ではない?
若い頃と中年期の自分の心が求める「自己実現」は何が違うの?
おおよそ20~30代までの人々が考える自己実現とは、「なりたい自分になること」や「社会的な成功を収めること」「やりたいことを思い切りやる人生を送ること」「理想の暮らしを実現すること」を意味するのではないかと思います。
とはいえ、このように多くの人々が「自己実現」と捉えていることは、実は「自我」の実現だといわれています。自我(エゴ)とは、自分の「意識の中心」を意味します。 自分の意識の中心である「自我」が求める生き方を実現していくことが、「自我」の実現です。
一方、中年期以降の人々が志向していく「自己実現」は、自我実現とは全く異なるものです。
自我の奥には自我よりもっともっと大きく、自分が普段、意識することのできない「無意識」という領域があります。この「意識と無意識の領域を含んだ心全体の中心」を、深層心理学の大家であるC.G.ユングは「自己」(セルフ)と呼びました。
このような心全体の中心点「自己」が求める生き方を実現することが、本当の意味の「自己実現」です。
意識できる自分は氷山の一角? “海中”に潜む自分に気づく
氷山に例えると、海上に見える部分が「自我」(エゴ)、海の下にある部分も含めた氷山全体の中心を「自己」(セルフ)。こう捉えると、「自我実現」と「自己実現」の違いが分かりやすくなります
この海上に見えている氷山の一角の中心が「自我」(エゴ)であり、海の下にある部分も含めた氷山全体の中心を「自己」(セルフ)と捉えると、「自我実現」と「自己実現」の違いが分かりやすくなると思います。
若い頃には皆、海上に見える氷山部分を高める「自我実現」のために情熱を傾けます。しかし、中年期からはそれだけではどことなく物足りないと感じる人が増えていきます。手を変え品を変え、海上の氷山を様々な角度から磨き上げても、若い頃に感じたような感動は得られず、どこかで見たことがある世界を追体験しているだけのような気がしてくるのです。
そうした時にふと意識が向かっていくのが、海底にまで続く氷山の本質の部分です。つまり、心の深層の声を聞き、自分の心が本当は何を求めているのだろうかと考えるようになるのです。
男性性も女性性も、どちらも自分だと感じ始める中年期
この中年期には、若い頃には認めることのできなかった自分の様々な面に気づいていくようになります。たとえば、若い頃には「男らしさ」にプライドを持って生きてきた男性ほど、中年期に近づくとそのペルソナとは似ても似つかぬような「女らしさ」が露出し始め、戸惑うことが少なくありません。涙もろくなったり、やさしさややすらぎに共感したくなるのもそのせいです。
このような自分の多面性に直面すると、当初は「自分は弱くなったのだろうか」「どちらが本当の自分なのだろう」と葛藤します。しかし、中年期も深みを増してくると、自分の中にある男性性も女性性にも親しみを感じてきて、そのどちらの自分も素直に表現できることに喜びを感じるようになったりします。
このように中年期からは、心のうちに潜んでいた自分のさまざまな側面を認め、受け入れ、心の全体性を実現していくことに意識が向かっていくのです。
人生の目的を見失いがちな中年期こそ、心の深層に目を向けてみよう
とはいえ、このような方向性に心が向かっていけるのも、ある程度「自我」を確立できてこそです。中年期からの自己実現では、それまでの人生で苦労して築き上げた「自我」へのこだわりを少しずつ手放しながら、心の全体性としての「自己」を実現していくのです。自我の形成が中途半端なままでは、意識が自己実現へと向かう準備ができません。したがって、多くの若い人の関心は心の深層には向かわないものですし、逆に若いうちから深層心理ばかりを深めて学んでも、心から納得できる答えにはたどり着きにくいものです。あるいは、自我が確立していない段階で心の深層を探ると、非現実的な無意識のパワーに飲み込まれて自分がわからなくなってしまう危険もあります。
つまり、数々の人生経験を重ねながらも自己探索へのエネルギーを持つ中年期こそ、心の内面と向き合える適齢期だと言えます。それまでの人生で夢中になって追いかけてきたものに急に関心がもてなくなり、生きる目標を見失った時、あるいは、「もっと別のところに自分が求める何かがあるのではないか」とふと感じるようになってきた時は、心の内面に向き合うタイミングなのかもしれません。
ぜひ、雑音から離れて一人になる時間を持ち、感性を研ぎ澄ませて、自分の心が本当は何を求めているのかを感じていきませんか。