差別というより侮辱。刷り込みやスティグマについて
今回の件は、差別なのか?と聞かれると、正確に言うとちょっと違うかな、と思います。差別構造に加担するような言動ではありますが、言葉を選ぶなら「侮辱」です。ゲイやレズビアンは結婚という基本的な権利から排除され、不利益を被っていますが、それは制度的な差別です。トランス女性(男性から女性へと性別変更し、日常生活を女性として過ごしている方)が女性限定サービスを受けられないとしたらそれも差別ですよね。不平等だから是正しようという話です。江原由美子氏は、著書『「差別の論理」とその批判』の中で、「差別」ってそんなに簡単なことじゃないですよ、と述べています。差別の問題点の一つは、被差別者が不利益を被ることだけでなく、不利益を被っているということ自体が社会においてあたかも正当なことであるかのように通用していることである、と。
ゲイは「気持ち悪い」から、「変態だ」から、バカにしていいし、排除していい(不利益を被っていい)、だって「気持ち悪い」し、「変態だ」から、という理屈にもなってない世間の合意が、当然のように通用してきましたが、それにお墨付きを与えてきたのが、テレビや雑誌の「ホモ」ネタや「おかま」ネタだったのではないでしょうか(前回のメディアのジェンダー表現の記事も併せてご覧ください)。
そうしたメディアの直接的な侮辱表現だけでなく、世間のありとあらゆる場で、性的マイノリティの被る不利益を正当化するような理屈(異常だ、病気だ、少子化が進む、趣味だから擁護する必要はない、わがままだ、など)がもっともらしく展開され、差別構造を強化し、当事者に「差別されてもしかたがない」と思い込まさせてきたと思います(ゴトウは中高生の頃、気になって心理学の本などを読み漁りましたが、同性愛が「異常心理」として扱われていて、ショックを受けました)。そういう、さも正しいような顔をして当事者に「自分は異常だ」と思い込ませるような「刷り込み」のようなものこそ、実は深刻なのではないでしょうか。
社会学用語で「スティグマ」という言葉があります。語源はギリシャ語で、奴隷や犯罪者の身体に刻印された徴(しるし)を意味します。それを持っていると汚れていると見なされてしまうような属性、「キモい」「近寄るな」という屈辱的な仕打ちを受けるような負の烙印のことです。社会学者のアーヴィング・ゴフマンが1963年に著書『スティグマの社会学』で提唱し、公民権運動の理念の支柱として広まりました。メンタルヘルスの文脈でよく言われる「セルフ・スティグマ」は、罹患を「恥ずかしい」「情けない」などと感じ、自尊感情(セルフ・エスティーム)を低下させ、引きこもったりするということですが、これは多くの同性愛者(やHIV陽性者)が経験してきたことでもあります。
2012年に「祝いと呪い」という記事でも書きましたが、セクシュアルマイノリティやHIV陽性者は、社会に押しつけられた負の烙印(「スティグマ」)ゆえに、ともすると「呪い」に呑み込まれそうになり、ある人は自分をも呪い(思春期の頃の僕がそうでした)、ある人は心や体を病み、ある人は若くして命を落としたりしてきました。
言葉だけでもこんなにダメージが大きいのに、テレビの中で「ホモ」を嘲笑し侮辱するキャラクターがしゃべり、動いている映像が繰り返し放送され、日本中でそれを真似して「ホモ」を侮辱する人たちが増殖する……地獄以外の何ものでもないですよね。多くの人が「トラウマ」だったと語っていますが、それは大げさではなく、リアルにそうだったのです。
まだインターネットがなく、テレビの影響力が絶大だったころ、「ホモっていうのは(普通じゃない見た目やしゃべり方で)バカにして笑っていい存在」であると発信されたことは、まさに「スティグマ」の刻印であり、多くの当事者(自身の性的指向について悩んでいた子どもたち)を傷つけ、「これは絶対に人には言ってはいけない」「後ろ指をさされるようなこと」だと思わせ(セルフ・スティグマ化)、誰にも相談できず、孤立無援の絶望的な気持ちに陥る人も多かったはずです。
嘲笑・侮蔑は、命にもかかわる問題
2005年、京都大学大学院医学研究科の日高庸晴氏がゲイ・バイセクシュアル男性約6000人を対象に実施した調査では、「ホモ、おかま」など言葉による暴力被害を経験した方は全体の54.5%、言葉以外のいじめに遭った方は45.1%に上り、自殺を考えたことがある方が65.9%、実際に自殺未遂を図ったことがある方は14.0%に上っています。この数字は、1999年に調査が実施された時とほぼ同じです(再現性のある結果です)。また、「わが国における若者の自殺未遂経験割合とその関連要因に関する研究」では、ゲイ・バイセクシュアル男性の自殺未遂率が異性愛男性の約6倍に上ることが明らかにされています。ゴトウは身の回りの友人・知人を10名以上、自死で失っています(友人で、中学校の時にゲイじゃないかと思っていた同級生が自死して、真相はわからないけど、ショックだったと語った人もいます)。美輪明宏さんも、望まない結婚を言い渡されたゲイの友人がトイレで首を吊ったということを語っています。
世間に受け入れられるはずがない、誰も認めてくれない、もしバレたら後ろ指さされ、嘲笑されるに違いない、と思い込み、普通に幸せに生きていくというささやかな希望すら摘み取られてしまった人たち……その無念さはいかほどだったでしょうか。
これは、命にもかかわる問題なのです。
ゲイの息子さんを自死で亡くしたお母さんが以前、レインボーマーチ札幌で、参加者のためにおにぎりを作ってくださっていて、ステージ上でパレードの参加者を激励したことがありました。泣きながらおにぎりをいただいたことを思い出します。
たとえ自死には至らずとも、前述の日高さんの「ゲイ・バイセクシュアル男性のHIV感染予防行動と心理・社会的要因に関する研究」で、異性愛者を装う心理的葛藤が強い方ほど抑うつや不安、孤独感の強さ、自尊感情(セルフ・エスティーム)の低さなど、メンタルヘルスに不調があることもわかっています。(ゴフマンも「見えないスティグマ」があると指摘しています。潜在的なスティグマ者にとって、公になれば社会的地位を失うことにもなりかねない真実(ゲイの場合、性的指向)をどのようにして隠して生活するか(パッシング)が課題となる、と)
ゴトウが『クィア・ジャパン・リターンズ Vol.2 生き残る。』(ポット出版,2006年)に書かせていただいた「ゲイにとっての鬱」という記事の中で、精神科医の林義拓氏が「ゲイをはじめとする社会的マイノリティとは、心の発達に必要な『周囲からの承認』を欠いた状態で成長しなければならないという意味で、社会的・構造的に慢性反復性に虐待を受け続けてきた存在だといえるかもしれません」と語っています。子どものときに「ホモ、おかま」などと嘲笑・侮蔑され、小さな傷を(いわば「虐待」のように)溜め込み、内なるスティグマに苦しみ、何かあるとコップの水がすぐ溢れてしまうように鬱などの症状が現れ(鬱が重症化し、希死念慮が高まり)……という方も多いのです。
ゲイ(またはバイセクシュアル男性)にとっては、HIV/エイズの問題も深刻でした。今でこそ、早期に発見して治療すれば、ずっと元気に生きていけるようになりましたが、80年代から90年代にかけて、大勢の方が命を落としました。ロック・ハドソン、フレディ・マーキュリー、リベラーチェ、キース・ヘリング、ロバート・メイプルソープ、ハーブ・リッツ、ミシェル・フーコー、ジャック・ドゥミ、デレク・ジャーマン、マヌエル・プイグ、クラウス・ノミ、ピーター・アレン、シルヴェスター、ウィリー・ニンジャ、リー・バウリー、そして古橋悌二……。
『UNITED IN ANGER –ACT UPの歴史-』という映画に描かれていますが、すでに何万人もが亡くなっていたのに、レーガン政権はエイズに対して何ひとつ対策を打ち出さず、このままだと殺される、沈黙は死だ、と「ACT UP」が立ち上げられました。ゲイとHIVという二重の「見えないスティグマ」を抱えた人たちの、命を賭けた闘いでした。