子どもっぽさと大人っぽさが同居する「前思春期」
前思春期の子どもの目には、どんな世界が見えているのでしょう?
人間の発達において、小学生の年代は比較的穏やかな時期だと考えられてきました。たとえば、ライフサイクル論で知られるE.H.エリクソンは、児童期の発達課題を「勤勉性」と呼びました。集団のルールに従って行動し、大人の指導を素直に聞き、与えられた課題に精一杯取り組む――そんな勤勉さがぐんと伸びる時期が、小学生の年代なのです。
しかし、勤勉な心を育みながらも、小学生の心は少しずつ大人へと近づいていきます。同じ小学生でも、高学年の子と低学年の子とでは、雰囲気がだいぶ変わります。学年が変われば、子どもたちのまなざしの方向性や見えている世界も大きく異なるのです。この「前思春期」の子の気持ちや価値観を、親がどのように理解し、対応できるか――。その行動によって、その後の子どもの心のありようは大きく変わっていきます。
「甘え」と「反発」を行ったり来たりする子どもたち
前思春期の子どもは親に対して、「甘え」と「反発」という正反対の感情を向けてきます。「学校どうだった?」「宿題やったの?」と言われると、「うるさいなぁ!」「指図しないでよ!」と反発する。それならばと放っておけば、すり寄ってベタベタ甘えてくる。――このように、親から距離を置きたがるのに親との密着も欲しくなる、そんな微妙な年頃なのです。そして、子どもの関心事は「親子関係」から「仲間関係」へと確実に移っています。仲間との共感を楽しみながらも、傷つけられて苦しみ、仲間から外されることへの不安も味わう。絶え間ない井戸端会議の中から、「大人の言うことがすべてではない」ことも悟ります。すると、大人の指示にただ従うこともなくなり、口答えをしたり約束を破ったり、親の言動を小馬鹿にするようにもなっていきます。
子ども同士の関係を、親はそっと離れた位置から見守ろう
しかし、前思春期の子は親に「自分の世界」へ強引に入って来られると、どことなく落ちつかないのです。かといって、自分が選んだものを否定されたり無関心でいられることが、平気な訳でもありません。「これいいでしょ!」などとナンセンスな動画を親に見せながら、一緒に大笑いしたがる面もあるのです。
子どもの素直な気持ちを、そのまま受け取ろう
このように、コロコロ変わる子どもの感情をどう理解したらいいのか、親は戸惑ってしまうもの。しかし、当の子どもは、その場、その瞬間に生じている素直な気持ちを、親の前でありのまま表現しているだけなのです。そんな子どもの感情表現を、まずはそのまま受け取ってみましょう。
「おかあさーん」とベッタリ甘えてきたら、「どうした?」と寄り添う。「あっち行ってよ!」と反発したら、「邪魔しちゃったね」とそっと距離を置く。「見るな!」と言われたら、そっと立ち退く。「いいでしょ!」と言われたら「すごいね!」と共感する――。こんな風に、移ろいやすい子どもの気持ちに添いながら、接していくといいと思います。
前思春期に感じる「親への信頼感」はとても大切
前思春期に入れば、もう「思春期」は目の前です。思春期に突入すると、子どもは本格的に「自立」への模索を始めます。思春期には、親からの心理的自立、性的な興味と衝動、仲間との密着と軋轢などを体験し、感情が大きく揺れるようになるのです。前思春期は、そんな思春期の荒波の予兆のようなもの。コロコロ変わる自己表現に一喜一憂せず、いつまでも「子ども扱い」せず、かといって「親の役目はそろそろおしまい」と手を引かずに接していきましょう。そして、子どものその時々の自然な感情や行動を尊重し、気持ちに添っていきましょう。
このように、親が子どもの気持ちを尊重し、ぶれずに、大らかに接していくと、子どもは親を心から信頼してくれます。この前思春期の年代に、親のことを心から信頼できると、思春期に入ってから親に対する過剰に否定的な感情を抱えるリスクが低くなります。すると、親子は子どもっぽい密着した関係性から、大人としての自立的な関係性へと緩やかにシフトしていくことができるのです。
ぜひ、この「前思春期」ならではの親子の関係性をしみじみ味わいながら、この年代の子のデリケートな気持ちに添って過ごしていきませんか?