学校よりも自然に、舞台が
生活の一部になっていた(?)子役時代

3歳の海宝直人さん、姉のあかねさんと。初めて観た『アニー』をきっかけに、歌やごっこ遊びに夢中になっていた頃(?)写真提供:海宝直人

3歳の海宝直人さん、姉のあかねさんと。初めて観た『アニー』をきっかけに、歌やごっこ遊びに夢中になっていた頃(?)写真提供:海宝直人

――海宝さんというと、筆者の中には『ライオンキング』ヤングシンバの印象が今も強く残っていますが…、あっと言う間に大きくなられましたね(笑)。子役を始めたのは、お姉さん(劇団四季俳優・海宝あかねさん)の影響だったのでしょうか?

「はい、3歳ぐらいの時に姉が出演していた『アニー』を青山劇場に観に行きまして、舞台も観たし、楽屋に遊びに行ってちょっと年上のお姉さんたちに遊んでもらったりしたのが、僕のミュージカルの原体験です。それから、家でも自然に姉とアニーごっこをするようになって、“負けやしないわ~”と歌ったりしていましたね(笑)。

その延長線上で、幼稚園年長の時に劇団四季の『美女と野獣』のオーディションがあると聞いて、ミュージカルのレッスンを受けたことはなかったけれど、歌うことが好きだったので受けてみたら、チップという子役で受かったんです。はじめは開口などもできなかったけれど、子役担当の俳優さんがつきっきりで教えてくださって、できるようになりました。初めて母音法が出来るようになった感覚は今でも覚えていますね。それは僕の(俳優としての)基礎の大きな部分となっているかもしれません。

当時は子供ならではの怖いもの知らずで、物怖じしていた記憶はほとんどないですね。大人の方たちもかわいがってくださったけど、稽古中、子供同士で悪戯をしてよく怒られました(笑)。(後年『レ・ミゼラブル』『ジャージー・ボーイズ』で共演する)福井晶一さんはその時出演されていて、当時の僕をよく覚えて下さっているそうです。チップは開幕すぐから千秋楽まで、3年間出演していました。学校より楽しくて、劇場に通うのが“生活の一部”になっていましたね」

――その次が『ライオンキング』のヤングシンバ。オーディションの記憶はありますか?
ヤングシンバを演じた折の海宝さん。写真提供:海宝直人

ヤングシンバを演じた折の海宝さん。写真提供:海宝直人

「『ライオンキング』は初めて歌って踊って駆け回る役だったこともあって、明確な記憶があります。小学3年生で自我も芽生えていたので、実はすごく緊張していたんですよ(笑)。演出助手のジェフリーさんはじめ、海外スタッフの方々がいらっしゃるなかで、ザズからパペットを奪う動きなどがうまくできず、どうやったらいいんだろう、と焦ったりしていました」

――しかし見事に合格。主人公の子供時代ですから、『美女と野獣』のチップとは比べ物にならないほど、責任の重いお役でしたね。

「この台詞はどういったらいいかなとか、子供ながらにいろいろ考えた記憶があります。『朝のご報告』というナンバーの稽古の時に、海外スタッフの方が稽古ピアノを弾きながら“歌ってみて”と言ってくださってわくわくしたり、初めて舞台に立ってサバンナでライトを受けた時の眩しさといったものを、今も覚えていますね。大変なこともあったけれど、舞台の上ではすごく楽しかったです。ライトを浴びるときは緊張感より、高揚感のほうが勝っていたかもしれません」

――『ライオンキング』の感動ポイントの一つが父子愛。父・ムファサのしみじみとしたナンバー「お前の中に生きている」に繋がってゆくヤングシンバの“僕たち、ずっと一緒だよね”はとても重要な台詞ですが、意識していましたか?

「すごく大事にしなきゃいけないよ、と言われたことを覚えています。あのシーンの、ムファサに抱きつくときの感覚とか、“ずっと一緒だよね”と言った時にムファサが何も言わずに僕を下ろして、“何なんだろうな”という気持ちになったことなど、リアルに覚えています。ムファサと遊んでいたのが、急に空気が変わって、ムファサが淋しげな表情になる。その時の感情は今思えば、“切なさ”というものだったんですね」

――1幕の最後に、落ち込んでいたヤングシンバはティモンとプンバァに“ハクナマタタ”という言葉を教えられて、元気に歌いながら袖にはけていきます。それがヤングシンバの出番の最後ですが、あの数秒間には思い入れが?

「最後の出演日のことは覚えてますね。この数秒間でもう終わりなんだなあ、と思っていました」

『ミス・サイゴン』で“大人の俳優”として再始動

『メリリー・ウィー・ロール・アロング~それでも僕らは前へ進む』(写真提供:ホリプロ)。宮本亜門のエネルギッシュな演出に懸命に応え、旬の若手俳優たちが火花を散らす中でフレッシュな存在感を示した。

『メリリー・ウィー・ロール・アロング~それでも僕らは前へ進む』(写真提供:ホリプロ)。宮本亜門のエネルギッシュな演出に懸命に応え、旬の若手俳優たちが火花を散らす中でフレッシュな存在感を示した。

――その後、“役者を一生の仕事にしたい”と思ったのはいつ頃だったのでしょう?

「高校3年の頃ですね。それまでは事務所に所属してスチールや映像のお仕事をちょこちょこやらせていただいていたのですが、2008年の『ミス・サイゴン』のオーディションの広告が読売新聞に“全キャストオーディション”と大きく出まして、これに受かったことでミュージカルを続けていこうと思ったんです。18歳で合格して、出演時には19歳。ちょうど『ミス・サイゴン』が全体的に刷新された時期で、僕は男性では最年少だったと思いますが、一つ年上の方や、20代前半の方もいらっしゃいました。

東宝の大作はそれが初体験でした。僕はGIの役で、女性とのペアダンスもあったし、初めてのことばかりで緊張しました。作品の稽古に入る前に“スクール”といって、ダンスや歌、物語の背景レクチャーなど半年間くらい学ばせていただいて、すごくいい経験になりましたね。

『ミス・サイゴン』ではスクールを含めると1年以上関わっていたので、長期間新鮮さを保つことの難しさを学ばせていただきました。アンサンブルはやることも大方決まっているので、一歩間違えると単なる“ルーティン”になってしまいます。日々新しいことにチャレンジしていかないと、作業のように流れてしまうこともあり得るので、いかにモチベーションを保ってゆくか。アンサンブルでは、振付やこのタイミングでライトの中に入るといったことは決まっていましたが、例えばバーに入って何を注文するのかといったことは自由だったので、そういうところで工夫するようにしていました」
『フル・モンティ』写真提供:フジテレビ

『フル・モンティ』写真提供:フジテレビ

――その後、多くの話題作にアンサンブルで出演されましたね。当時から“いつか主役を”という思いをお持ちだったのですか?

「歌を一人で歌える役をやりたいという思いはありました。そのために、歌を研究しましたね。アンサンブル時代に特に印象に残った作品ですか? どれもそれぞれ勉強になりましたが、『フル・モンティ』はとりわけ印象に残っています。ゲイのストリッパーという、やったことのない濃い役で(笑)、Tバックも穿きました。稽古現場も一般的なミュージカルの現場とは違って、毎日みんなで新しいアイディアを出しあって、日々全く違うことをやる。それを最終的に福田さんがまとめていく…という過程がものすごく刺激的でした。僕の場合、例えば福田さんにある日“東宝ミュージカル風にそこ、お願いします”と言われて、大きなお芝居をやったり。みんないろんなことをやるので、どんどん長くなって、どんどんカットされて。ボツになったアイディアはたくさんありましたね。あの稽古、観ていただきたかったなあ。完成した舞台にもお客様がすごく笑ってくださって、とても嬉しかったです」
『ファントム』シャンドン伯爵役undefined写真提供:梅田芸術劇場

『ファントム』シャンドン伯爵役 写真提供:梅田芸術劇場

――ソロのある役に進出するきっかけになったのは、『ファントム』(2010年)のシャンドン伯爵役でしょうか?

「そうですね、シャンドン伯爵です。オーディションを受け、演じさせていただきました。あの時は、作品自体はミュージカルなのですが、演出が鈴木勝秀さんで、舞台の作り方が芝居を構築していく感じでした。ミュージカルで伯爵役だと、とかくスタイルで(様式的に)演じてしまいがちなのですが、そうではなく、この人物がこういう状況になるとどう心理的に崩れていくか、ということのリアリティを学ばせていただきました。貴重な経験でしたね」

*次頁ではいよいよ『レ・ミゼラブル』マリウス役を掴み、新進スターとして頭角を現し始めた頃、そして今、抱いている夢をお話しいただきます!