日本ではどのような活動を考えていますか。
島地>創作は続けていきたいし、最低限活動できる場を確保したい。そのためには教えもレギュラーでは持たないようにしようと考えてました。でも日本に帰ってきたら考えも少し変わって、自分の持っているものに対して誰かが興味を持ってくれるんだったらそれはそれでいいのかなと思うようになった。ときには小さい子たちに教えるような機会もあって、今はまだ理解できないだろうけど、彼らに触れてもらうのもいのかなと思ったりもする。日本のダンス仲間の作品に参加して、久しぶりにカウントで踊らなきゃいけないこともある。改めてやってみると悪くないなって思ったり、またそこで発見がありますね。ありがたいオファーを沢山いただくし、与えられたものを最大限やっていくというのも大事ですけど、そうではなくて自分からやっていかなきゃいけない。このままだときっと10年なんてすぐ経っちゃう。いい意味やりにくいアーティストだったり自分がすごいなとか負けてるなって思うひととやっていかないと、できることしかやらなくなっちゃう。あとはグループワークですね。自分は振付演出家に徹して作品をつくり、ダンサーに出てもらう。
グループを持ちたいという気持ちはあります。島地プロジェクトもそれで始めたもので、この前はザ・フォーサイス・カンパニーからダンサーをふたり呼んでクリエイションをしました。島地プロジェクトはこれからも続けていきたいです。
奥さまの酒井はなさんとはやはりダンスの話をされるのでしょうか。
島地>やっぱりふたりとも身体のことが好きだから、“今日身体でこんな経験した”とか、突然身体の話が始まることがよくあります。ふたりとも基本的にのんびりはしていますけど、それでいて本番になるとあわてふためくタイプ。彼女の舞台に持っていくための集中力とか、ケアの仕方はとにかくすごい。ひとつの役柄に入ると、2ヶ月くらいその視点で全ての物事を見てる。『ロミオとジュリエット』に取りかかっていたときは、ワンピースに花とか縫ってて、“それ誰が着るの?”っていう感じ。実際『ロミオとジュリエット』が終わってみたら、“あのときはこうしたかったけど、これ着れないよね”と(笑)。リハーサル中は本当に作品の話しかしないし、そこまで入りこんでたらこっちも話を聞かざるをえないですよね。ただそれだけではなくて、真人間なんだなって思います。ご近所さんとの関係だったり、電話の対応もそうだし、こちらがもう“すみません!”って気持ちになるくらいちゃんとひとと接してる。かつ、面白い。それは舞台に出ますよね。普段できないことは舞台には出ない。
悔しいくらい、すごい尊敬してる。舞台を観に行くと、やっぱりすごいなって思ってしまう。何でこんなにいいんだろうと、一度くらい感動しないで観てみたいと思うけど……。それはバレエとかジャンルを超えて、パフォーマーとして感じる部分。クラシックとか新しいとか、あまり関係ないってことですね。
日本に帰ってきてからの楽しみといえば、食もそう。日本は飽食で食に困らない。深夜2時でもどこかしら空いてるじゃないですか。フランクフルトの日本食屋は夜10時には閉まってましたから。ドイツにいたときも日本食ばかり食べてました。現地の料理はたまにしか食べに行かなかったですね、脂っこいし、量も多い。豚肉料理が多くて、唯一好きだったのはアイスバインという豚のすね肉の料理。それはよく食べてました。
今後の展望をお聞かせください。
島地>芸術監督の夢はまだ諦めてません。地方の劇場でもいいし、むしろ地方の方がいいかもしれないですね。でも理想はハウスコレオグラファー。芸術監督はその他もろもろ政治的なことができなければいけないから。専属振付家の席があったらいいけれど、でも専属できるような劇場が今の日本にはない。ダンスを始めて17年。いわゆる舞台に上がるダンス、モダンダンスを始めたのは20歳のときなので、ダンスを始めて8年でフォーサイスに行った。海外で9年踊って、その次の9年をどうするか。経験を活かさなければならないし、進化したい。2015年は僕にとってとんでもない変化の年で、今はそれを整理してるところ。しかし、踊るしかないんです。身体を使い整理していく。身体はいつも脳より賢い。これから日本で踊る限り、10年、20年のスパンでやりたいことを、ひとを巻き込んで進めていかなければならないと感じています。
(C)後藤武浩