ゲイ雑誌『G-men』がついに休刊
『G-men』最終号。表紙のイラストを手がけているのはjiroさんという方です。
『G-men』は、ゴトウが編集に携わっていた『バディ』のすぐ後に誕生した(もともと『バディ』を作っていた方たちのうち、短髪ヒゲがっちり野郎系好きな方たちが移籍して創刊)、いわば姉妹誌です(見た目は『G-men』の方がお兄さんですが)。それまでの『薔薇族』『さぶ』のような(ノンケさんが作っていた)「ホモ」雑誌ではなく、時代の趨勢に合ったゲイによるゲイのための総合情報誌として支持を集めました。しかし、これだけネットやスマホアプリが隆盛を極め、ポルノ動画も簡単に見れるようになった現在、紙媒体を毎月出し続けるのはとても厳しくなったのでしょう…。
平成生まれの方はご存じないかもしれませんが、ゲイ雑誌は1970年代に誕生し、90年代まではゲイ雑誌がゲイの世界への入り口であり、出会いの手段でした(ネットがなかったので、通信欄を使って手紙を交換して出会うというアナログなやり方。でもそれしかなかったのです)。時代の変化とともに70年代にできた雑誌は次々になくなり、『バディ』(若くてスリム~マッチョ好きな方をメインターゲットとした総合情報誌)、『G-men』(短髪ヒゲがちむち野郎系)、『サムソン』(太った方や年配の方)という3誌が残りました。ネットが普及し、出会い促進の役割を終えた後も、2000年代前半頃までは『バディ』『G-men』は勢いがありましたし、ゲイの世界の中心として、シーンを牽引していました。
『G-men』は(『バディ』もそうでしたが)そこに載ることがステイタスであり、モデルさんたちは「カッコいいゲイ」の代表として憧れのまなざしで見られました(「一緒に写真撮ってください」的な)。いわばスターを生み出すシステムでもあったのです(『バディ』で有名になってGOGO BOYデビュー、というパターンも多かったです)。と同時に、ゲイ雑誌は総合情報誌として、グラビアだけでなく、みんなが気になるテーマについて毎月特集したり(抱かれたい芸能人とか、ゲイライフのあれこれとか)、野外ハッテン場の危険とかHIV予防についての情報もパッケージとして届けていました。読者が自身のセクシュアリティを肯定し、独りじゃないと思える、ゲイライフを前向きに捉えられる、そういう役割も担っていたのです。
ゴトウが『G-men』の功績についてぜひ、みなさんにお伝えしたいのは、こういうことです。
2000~2002年、東京のパレードがいちばんアツかった時代(レインボー祭りとも連動し、二丁目の人たちも大勢参加していたコミュニティのお祭りだった頃)。当時、多くのゲイにとって、ゲイパレードを歩くのは勇気の要ることでしたが、『G-men』は誌面を飾ったスターたち、「Always Proud」という合言葉、ゲイインディーズミュージシャンたちの歌声とともに大々的に歩こう!と呼びかけました。そして当日、ガタイのいい男たちが大勢(プロレス団体と間違えられながら)パレードを歩いたのです…その光景に感動を覚えずにはいられませんでした(ちなみにゲイインディーズのライブでしばしば司会を務めていたゴトウは、『G-men』にも変な格好で載せていただきました。お目汚しすみませんでした…)。
雑誌が衰退し、シーンの中心を欠いた今、あの時のような、仲間たちと熱く盛り上がる(感動を味わえる)瞬間とか、コミュニティ的な一体感を味わえる機会は、残念ながらほとんどなくなってしまったように思います。あの2000~2002年頃の熱さを知っている方たちはきっと、『G-men』休刊のニュースを寂しく聞いたことでしょう。いい夢見せてくれてありがとう、感動をありがとう。そんな気持ちだと思います。