みんなって、いったいどこの誰? 「ナイーブ・セオリー」とは

並んで座る女の子

「みんなそう言ってるよ」そんな言葉に流されていませんか?

「みんなやってるよね」「みんなそう言ってるよね」というように、私たちは普段「みんな○○している」という言葉に振り回されがちです。でも、この言葉のおかげで自由な発想や行動を回避し、窮屈になっていないでしょうか?

個人が日常のなかで獲得する素朴な知識の体系を「ナイーブ・セオリー」と呼びますが、私たちは、このナイーブ・セオリーに従ってさまざまなことを判断し、行動を決めていることが多いのです。たとえば、「女の子はちょっとドジな方がいい」「メソメソ泣くのは男じゃない」といったような言葉の影響がそうです。

「みんな○○している」説の多くもナイーブ・セオリーによるものですが、実は明確な根拠などなく、仲間内のみで語られていることを「みんな○○」と信じているだけという場合が少なくありません。

都合のいい情報だけ集めて確信していませんか?

「みんな○○している」という発言を耳にしたら、「みんな」とはどこの誰を指しているの? 半径数メートル内だけで交わされている言葉ではないの? といったことをよく確認する必要があります。

人間には、ある考えや仮説をもつとそれらに都合のよい情報ばかりを集め、そうでない情報を無視しやすくなる傾向があるのです。これを「確証バイアス」と呼びます。

たとえば、「B型の人はいい加減」といった説を信じる場合、無意識のうちに「B型=いい加減」に合致する情報ばかりを集め、それを反証するような情報には目を向けなくなってしまいます。こうした心理が自然に働いてしまうのです。

「みんな○○している」説を信じる場合も、同様です。自分でも気付かないうちに「みんな○○している」説に都合のよい情報ばかりを集め、同じ説を信じる人たちの間だけで「そうだよね!」と合意しあいながら、確証バイアスを強めている可能性があるのです。

ナイーブ・セオリーに囚われていないか、多角的判断を!

こうした説に流されていると、人間や物事を客観的・多角的に見られなくなり、偏見や差別につながることもあるため、注意が必要です。

たとえば、「○○出身の人って、みんなダサいよね」「○○卒業の人って、みんなレベルが低いよね」といったネガティブなナイーブ・セオリーも、世間ではしばしば交わされるものですが、こうした根拠のあいまいな説を信じ込むことで、人間の個としての特性や多様性に目を向けず、先入観だけで人を判断してしまうことがあります。

グローバル化や男女共同参画社会、ソーシャル・インクルージョンが進む現代では、人種も性別も障害も超えてさまざまな特性をもつ人と協働していく機会が、今後ますます増えていくでしょう。多様な特性をもつ人々と関わる社会では、「みんな○○している」説に従って判断したり、それを流布したりしていると、思いがけない対人トラブルや人権問題に発展しかねいないため、要注意なのです。

ぜひ日頃、根拠のあいまいなナイーブ・セオリーに流されていないか、じっくり振り返ってみてください。
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