セクシュアルマイノリティ・同性愛/LGBT

号泣必至の超名作映画『キャロル』(3ページ目)

2月といえばバレンタイン。今月は愛をキーワードにコラムをいろいろお送りします。映画『キャロル』のレビューをはじめ、マドンナのゲイ愛、企業のアライの方たちの愛、ゲイ目線のミュージカル愛などなど。今月もボリュームたっぷりです!

後藤 純一

執筆者:後藤 純一

同性愛ガイド

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「愛の戦士」マドンナのゲイ愛

マドンナ

マドンナの来日公演、ホントよかったです。私生活でもカップルだというayabambiさんも大活躍!

2月13日と14日、さいたまスーパーアリーナでマドンナの「レベル・ハート・ツアー」来日公演が行われ、日本だけじゃなく中国などからもゲイの方たちが大勢集結しました。ゴトウは13日に行って、衰え知らずのマドンナのパワーやゴージャスなエンターテインメントの数々に酔いしれ(「S.E.X.」で男性ダンサーどうしのカラミが入っていたのはさすが!)、その足で、フィーチャリング・マドンナなゲイナイトShangri-La”EXTRAVAGANZA”に行き、アフターの余韻を堪能しました(しかし、13日の公演が2時間遅れだったため、「途中で出ざるをえなかった。金返せ!」「プロとして失格!」など、非難が続出…。とりあえず今回はその件は置いといて、これまでの功績についてまとめてみたいと思います)。

マドンナはもともとゲイクラブから火がついて有名になっていったわけですが、高校時代のクラシックバレエの先生(クリストファー・フリン)がゲイだったことや、実の弟クリストファーがゲイだったということもあり、ずっとゲイの強い味方でした。マドンナのゲイ愛は、ちょっと人気取りして儲けようとかそういうレベルではなく、本物です。

「ヴォーグ」

世界を席捲した「ヴォーグ」はもともとNYの黒人のゲイたちが生み出したダンス。二丁目のクラブでもヴォーギング流行りました~

「ブロンド・アンビション・ツアー」の舞台裏を記録した「イン・ベッド・ウィズ・マドンナ」(1991)というドキュメンタリー映画をご覧になった方は、ツアーに参加したダンサーの多くがゲイだったことをご存じでしょう。このドキュメンタリーには、ダンサーの前でマドンナが恩師クリストファー・フリンや、デザイナーのマーティン・バーゴイン(「バーニング・アップ」「ラッキー・スター」のジャケットのデザインを手がけた方)など、エイズで亡くなったゲイたちのために祈るシーンがあります。

この「ブロンド・アンビション・ツアー」は世界中にセンセーションを巻き起こした「ヴォーグ」(1990)をフィーチャーしています。若い方はご存じないかもしれないので念のためにお伝えすると、ヴォーギング自体も映画『パリ、夜は眠らない』(1990)で描かれていたように、NY・ハーレムの黒人ゲイたちのカルチャーでした(ヴォーギングって過去のモノだと思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、そうではありません。ダンスの一ジャンルとして確立していて、たとえば昨年公開の「マジック・マイク XXL』では、主演のチャニング・テイタムがヴォーギングを披露しています)。ちなみに「ヴォーグ」の振り付けを手がけ、『パリ、夜は眠らない』に主演したウィリー・ニンジャは2006年にエイズで亡くなっています。

マーティン・バーゴインとマドンナ

右がマドンナの親友でゲイのマーティン・バーゴイン。マドンナはエイズに冒された彼を献身的に支えました。

マドンナがスターダムに登りつめた時代は、アメリカがエイズに恐怖していた時代でもありました。まだ感染経路などがわからず、「GAY CANCER」などと呼ばれていた頃も、彼女は(多くのセレブがエイズのことから距離を取ったのと対照的に)ゲイの友人たちを献身的に支援しました。マーティン・バーゴインを看取り、その治療費や葬儀代などを肩代わりしたことはよく知られています。

湾岸戦争時、ピンクの風船で「MONEY FOR AIDS, NOT FOR WAR」という巨大なのぼりを掲げた「ACT UP」についてインタビューされたマドンナは、食い気味に「賛成よ」と答えたそうです。今でもマドンンはエイズのことにかかわり続けていて、アフリカのマラウイのエイズ問題を取り上げたドキュメンタリーを自身で製作したり、カンヌ映画祭でのHIVチャリティパーティに出席したりしています。

2015年の世界エイズデーには、ロンドン公演のMCで「何年も前に私の親愛なる最高に素晴らしい友人をエイズで亡くしたということだけでなく、私の養子の息子の家族全員がエイズで命を落としたということを認識しないといけないわ」「今も治療法を探して闘っている人々に感謝して、この病気への関心を高めて他界した人たちを称えましょう。いつの日か私たちは(エイズに)打ち勝つことが出来るでしょう。そのお礼を言うために、祈りを歌うわ」と語って『ライク・ア・プレイヤー』を歌い、オーディエンスを感動させました。

マドンナ

「NO FEAR」と書かれたレインボーフラッグを掲げ、サンクトペテルブルクの同性愛者たちを励ますマドンナ。

欧米では同性婚も認められつつありますが、世界を見渡せば、ゲイだというだけで投獄されたり、死刑にされる国もあります。マドンナは2010年には、マラウイで結婚式を行って逮捕されたゲイカップルを署名運動で救っています(こちら)。また、ロシアのサンクトペテルブルクでは、反同性愛法にNOを表明し、ロシアのゲイたちを勇気づけました(こちら)。

昨年は、ムスリムとユダヤのゲイカップルがキスしようとしている画像をインスタグラムに投稿し、「この写真は100点だわ」とコメントしています。(10年前の東京ドーム公演=コンフェッションズ・ツアーでも、イスラム教のシンボルを体にペイントした男性ダンサーと、ユダヤ教のシンボルをペイントした男性ダンサーがセクシャルにからみあうシーンがありました)

ゲイを迫害する権力に敢然と抗議し、宗教間の対立さえも愛で乗り越えようと訴えるマドンナ。パリで起こったテロに対しても「世界を変える方法は、単純に日々の基準にしたがってお互いを扱う関係を変えること。私たちはすべての人々を尊厳と敬意をもって接することから始めなければならない。それこそが世界を変える唯一の方法なの。世界を変えることができるのは愛だけなのよ」「沈黙するのは、彼らの思うツボ。自由を楽しむこと。人を愛すること」と語っています。

2013年のGLAADメディア賞でのスピーチが、マドンナらしさを物語っています。長年米ボーイスカウト連盟が同性愛者の入会を禁止する規定を堅持していることへの抗議としてボーイスカウトのユニフォームで登場し、「アタシは、みんながボーイスカウトに入るのをあきらめるべきじゃないと思うの。彼らがマヌケな規則を変えるべきなのよ。そう思わない?」と言って喝采を浴びました(詳しくはこちら)。

そうそう、2012年の「Girl Gone Wild」のMVも忘れてはいけません。「ヴォーグ」以来のゲイゲイしさで、超アガる!と歓喜したゲイの方は全世界で100万人を超えたハズ。以上、駆け足でマドンナのゲイ愛をまとめてみました。また日本に来てくれたらうれしいですね!

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