東日本大震災をテーマに創作し、2013年にKAAT神奈川芸術劇場で上演を迎えた『Voice from Monochrome』。初演から3年が経った今のタイミングで再演を決めたのは何故でしょう?
加藤>今年は初演から3年目にあたる年であり、東日本大震災から5年目を迎えます。前々から5年目には絶対に再演しなければと思っていて、おふたりには言ってなかったけれど、初演の時点ですでに“3年後には再演しよう!”と勝手に決めていたんです(笑)。石井>3.11の津波はもちろん、それ以降に福島で起こった原発の災害を忘れてはいけないと思う。津波は全てを吐き捨ててしまう、それはもう恐ろしいものですよね。けれど3.11で人間が体験した悲哀は津波だけではなく、その後もまだ原発災害で苦しんでるひとたちがいる。しかも、最近ではほとんど忘れ去られている。私自身、初演のときは3.11というテーマに流されながらやっていたところがありました。私の役柄というのは、生命の源であり、畏れであり、悲しみでもある。今また改めてテーマを掘り下げたとき、それらがさらに加わってくると思います。
武内>今回は3年前よりは良くなるだろうなと思っています(笑)。前回はちょっと太刀打ちできるのだろうか、という気持ちがありました。初演のときは震災から時間が経ってない分、距離が正確に取れなかったし、まだ身体が共振しているような感覚があった。このテーマ自体、表現の素材とか土台にしていけるようなことなのか、という懸念が非常にありました。表現していくという意味においては、適切な距離と時間を置いた方がより深くなるような気がします。
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震災をテーマに作品をつくろうと考えた動機は何だったのでしょう?
加藤>あの瞬間、私自身何かが止まってしまったような感覚がありました。さらに震災の数日後に辺見庸さんの詩が映像で流れてきたのを見て、それが二度目のショックだったというか……。ある程度溜めておいたり、距離を置いてつくるべきだと考えていたけれど、そうではないかもしれないと思えた。置いておくことではない、という意識だけで始めてしまった気がします。おふたりを選んだのは、居るだけで魂が揺すぶられる存在だということ。ふたりの踊る姿にそうした振動を受けていたので、すっと腑に落ちて。このふたりがいるならできる、という気持ちでお願いしました。ふたりとも強さがあって、存在感があって、でもどこかエレガントなんですよね。その存在が持つエレガントな要素が私は好きだし、この作品に欲しかったところでもありました。
武内>僕はずっと自己流でやってきたものだから、みや子さんから話をもらったときは、いわゆるダンスのアカデミズムをきちんと通ってきたひとたちのなかに自分がいられるかどうか、という心配がまずありました。当然みや子さんのなかでは見込みが立っていたんでしょうけど、最初の頃はどうしたものかと暗澹たる気持ちでしたね(笑)。見知らぬ土地に来たような、行方不明になったような。昔は行方不明に憧れていましたけど、まさか大人になって実現するとはと……(笑)。
僕のなかではただ居ればいいというか、最終的に居るということが重大な関心事になっていて。動かないのも動きのひとつ、深い動きであるということ。その辺がどうも浮いてしまうのではないかという不安がありました。ただ、頭ではなく、身体は何か関知しているんでしょうね。馴染んでくるというのもあったけど、空間がだんだん温度を持ってきたな、というのは創作を続けていくなかで感じました。
石井>武内さんに違和感を感じたことは全然ないですね。私は土方巽さんと飲み友達だったので、彼の舞台も観ていますし、舞踏や違う種類のダンスに対する偏見というのは全くないんです。いい踊り、いい舞踏、全てダンスだって思える。バレエでも何でもいいんです。良ければいい。何を志しているかというと、結局方向的には同じであり、テリトリーをつくること自体ナンセンスだと思っています。
加藤>リハーサルのとき、武内さんが女の子たちの脚を“舞踏じゃ見れない脚だ”って言ってましたよね(笑)。
武内>舞踏の脚とは違う、生脚と言うんでしょうか(笑)。ただ自分では麻痺しちゃってるからわからないけど、みなさんは舞踏の方がエロチックだという風にみますよね。
加藤>舞踏における皮膚は“生”ではない、ということでしょうか。
武内>皮膚を白塗りのなかに閉じ込めて、白塗りが脱ぎきれずにもがき出ようとする。だから白塗りは衣裳のひとつであり、白塗りの上に着るのは重ね着するということ。重ね着すると皮膚との間に隙間ができるから、空間意識、皮膚感覚があがってくる。白塗りするということは、皮膚を衣裳で閉じ込めることなんです。
石井>今度、白塗りで踊りましょう(笑)。