こつこつ努力を積み重ね、「劣等生」から「主演女優」へ

『ミス・サイゴン』写真提供:東宝演劇部

『ミス・サイゴン』写真提供:東宝演劇部

――ここからは木村さんの「これまで」を伺わせてください。まず、ミュージカルを志したのはいつ頃だったのですか?

「劇団四季の研究所に入ってからです。私は「ミュージカルをやりたい」と思って研究所に入ったわけではないのです(笑)。ミュージカルは小学5年生の時に学校の演劇鑑賞会で『人間になりたがった猫』で出会い、楽しいなとは思ったし、タップダンスやバレエも習ったりはしていましたが、それより演劇に興味がありました。つかこうへいさんの作品ですとか、大好きでしたね。中学の頃は演劇部にいて、高校に入っても俳優養成所にいました。そして友人に「こういうところもあるよ」と教えられて受験したのが、劇団四季研究所。俳優として入所しましたが、入ってみて「ここ、ミュージカルをやるところだった…」と気付きました(笑)」

――その後のご活躍からは想像もできませんが、当初は劣等生だったのだそうですね。

「はじめ歌は全く歌えなかったし、同期の中でも「(技術の習得が)いちばん遅い生徒」でした。悔しい思いをいっぱいしたけれど、もともと体育会系でこつこつ練習することは好きだったので、頑張りました。舞台デビューも同期の中で最後で、アンサンブルダンサーとしての出演でしたが、そこで注目していただいたことで、その後の抜擢に繋がりました。努力は裏切らない、と思います」

――『エルコスの祈り』でタイトルロールを演じてから、四季の主要なミュージカルで次々大役を演じられました。特に思い出深いお役は?

「たくさんありますね。それぞれ自分の中で転機になったり、超えられない壁と思いながら取り組んだ役だったりということが多かったので、とても一つは選べません。『夢から醒めた夢』や、一番多く出させていただいた『キャッツ』も思い出深いですし、クリスティーヌを歌いたい一心でレッスンを積んで、『オペラ座の怪人』にも出ましたし…」

――私の中では木村さんといえば、まず『異国の丘』初演の初日を思い出します。しっとりとしながらも堂々たるヒロインでしたが、後で聞いたお話では、当日演じる予定だった方が急病になり、急遽出演されたのだそうですね。

「大変だったんですよ(笑)。前日のゲネプロの時に、私は『マンマ・ミーア!』の稽古をしていたのですが、突然「今から『異国の丘』、できるか?」と連絡がありまして、「やってみます」と言うしかありませんでした。アンダースタディとしてお稽古はしていて、台詞も完璧に入ってはいましたが、一番手には届かず、他の方が先発されるということで、私は衣裳もつけたことがなかったのです。舞台に出てからが勉強でした。

実はあの作品に出演したことで、私の祖父もシベリアで拘留されていたということを初めて知りました。私がこういう作品に出ると父が祖父に話していたところ、突然「実は俺、(シベリアに)行っていたんだ」と告白したのだそうです。祖父は(息子にさえ)話せないほど、大変な思いをしたのでしょう。父もそれを聞いてびっくりしたそうです。京都公演の時に招待しましたが、祖父は「異国の丘」のナンバーのところで一緒に口ずさんでいたそうで、そんな祖父の血を受け継いで自分はこの舞台に立たせていただいているのだ、と改めて身が引き締まりました。そういう意味でも思い出深い作品です」

――そうだったのですね。もう一つ、『壁抜け男』のヒロインも印象的でした。横暴な夫に抑圧されていたのが、主人公と出会い恋をすることで本当の自分を見出していく。彼と恋仲になって裸足で踊るシーンに色気があり、素敵でした。

「初演であの役を演じた井料瑠美さんが非常に色っぽい方で、そのイメージがありました。あのシーンは本当にエロティックですが、相手が(年上の)石丸さんでもありましたし、色気というものを意識するより、あの振付をきっちりこなすことで色気が出てくるのかなと思っていました」

――役柄を感覚的にキャッチして体現する「センス」がおありなのですね。

「どうでしょうか(笑)。確かに、ふだんはまるきりないけど舞台に立つと色気があるね、と言われることはありますね。内面的な色気のある役をやるといいねと言われると、私も嬉しいです」

――さきほど、ボイストレーニングを積んで『オペラ座の怪人』にも出演したとおっしゃいましたが、私は13年に、コンサートでヤン・ジュンモさんとデュエットされた『オペラ座の怪人』を聴いて、あの圧倒的なジュンモさんの声に全く負けていない木村さんのボリューミーな声に驚いた記憶があります。

「あの時は、ヤン・ジュンモさんとご一緒だと絶対負けてしまうと思って、めっちゃ頑張りました(笑)。本番の時にはジュンモさんも作品世界に入って下さって、ちょっと二人で即興劇のような形で歌えたのが素敵な思い出です」

――研究所に入られた頃は全く歌えなかったというのが信じられないくらい、芯のある、美しいソプラノ・ヴォイスですね。

「もともとの声帯の質もあるかと思います。喋り声が低いので自分はアルトかと思っていましたが、歌の先生に「あなたはソプラノですよ。神様からもらった声を生かしなさい」と言っていただいて、トレーニングを積んだ結果です」

*次頁では劇団四季を辞した理由、最近の出演作、そして今後のビジョンをうかがいました。