LGBTという言葉が盛んに言われ始めた今の日本で、あえてこの作品を発表する意義とは?
川口>ジョナサンからこの話を聞いたのが2013年の秋で、当時はまだLGBTという言葉が取り沙汰される前のこと。けれど自分にとってはアイデンティティを左右するテーマであり、それを扱うのはすごく面白いのではという気持ちがありました。2015年に同性パートナーシップ条例が成立して、LGBTや同性婚といったトピックにマスメディアが注目するようになった。けれど、それが本当にバラ色なのかどうかは慎重に考える必要があると思っていて。同性婚の成立が一体何を意味するのか。結婚制度にゲイが参加すること自体、昔は考えていなかったはず。それは結婚できないというネガティブな意味ではなく、結婚とは違うところを目指すはずだったのに、何で今になって結婚という制度にダイブしているのかという驚き、批判。言ってしまえば、それはマジョリティ側に“失礼します”と言って参加させてもらうことですよね。そんな馬鹿な、それってどうなの、というのが正直な感想であり、ゲイの間でそう感じているひとは少なくないと思います。
“ひとを永遠に愛する”といった結婚が持つ意味を否定したくはないけれど、一方で結婚というシステムには“所有を継続させる”といった意味も含まれる。“永遠にいつまでも”という時間制ではなく、ゲイの世界ではもっとニーズに応じた関係性を文化としてつくってきた。だからこのトイレはひとつの例でもある。“ひとを一時的に愛する”という関係性は異性愛者も考えているとは思うけど、正直に言うひとは少ないでしょう。トイレで名前も知らないひととひととの匿名的な性愛、接触の仕方がひとつの大きな例え。もうひとつのシステムがあるぞ、という主張がその例を使ってできますよね。僕が好んで使う言葉に“完璧なる距離”というものがありますが、遠いか近いかわからない、その曖昧さが非常に重要なんです。一般社会と異なった価値観ではあるけれど、そこに意味もあると思う。今の時代、世界的に結婚という制度が弱くなってきているのを感じます。結婚というシステムが疑問視されているこの時代に、新たなひととひととの接触の仕方や付き合い方を提示したい。私たちの歴史からいいものを残し、未来に持っていきたいですよね。