スパルタ父から「甘口お受験父」の時代へ

新聞を読む父

かつては「新聞越しの父」、いまでは「パートナとしての父」

ここ数年、「母と娘」の葛藤に関する問題が世間を騒がせていますが、実は母娘問題以上に根深い葛藤を抱えやすいのが、「父と息子」の問題です。

父権の強い時代には、家庭における父親のパワーは絶大なものでした。当時の父親は社会的に好ましい結果を出す息子をもてはやし、そうでない息子は見下すような、厳然とした評価的態度を持つ人が多かったものです(映画『エデンの東』や『スタンド・バイ・ミー』で描かれる主人公の父親像のように)。

70年代ごろから、家庭における母親のパワーが増大すると共に父親が“蚊帳の外”に置かれる風景が増え始め、同時に「マザコン息子問題」や「母娘問題」など、母親の過保護・過干渉の問題が燃焼してきました。しかし、最近では父親の育児参加(イクメンなど)が増加すると共に、「父と息子の問題」が新しい形で過熱化し始めているようです。

たとえば、息子の受験に熱くなる「お受験父」。エリート校進学にこだわる父はかねてから見られましたが、昔は「東大に合格しろ!」などの至上命題だけを掲げ、肝心の教育は母親に丸投げかスパルタ教育を押し付け、結果で評価する“辛口”な態度が一般的でした。

しかし、21世紀の「お受験父」たちは、単純に息子の偏差値や受験校のブランドなどの外的な評価にこだわるわけではありません。息子の性格の能力を分析し、男子の特性をよく理解している学校、親の考え方に合う学校をじっくり吟味する“甘口”の傾向にあるようです。

先回りして人生のヒントを示す父。息子はどう捉える?

このように、「息子に合った環境」「息子を伸ばせる環境」を積極的に探そうとする父親の熱意が、息子本人にとっては思わぬ負の影響を与えてしまう場合があります。

それは、父親が先回りして息子の個性を“理解”し、父親の判断で“息子に合った”人生の筋道を提示してしまうと、息子は自動的にその提示を呑み込み、提示に適応した生き方を志向してしまうという影響です。

この傾向は、特に幼い時期には顕著です。幼児期から児童期の男の子は父親と自分を同一視し、父親が正しいと考えるルールや生き方を勤勉に達成しようとします。したがって、「僕は○○校に行きたい!」「僕は将来○○になりたい!」と子ども自身が語っているとしても、それは父親の希望を反映した言葉であり、子ども自身の欲求から出た言葉ではない可能性があります。

ちょうど中学受験に挑戦する小学生時代は、息子が父親の希望を素直に呑み込みやすい時期であるため、父親にとっては受験を始めとする進路をコーディネートしやすい時期です。ただし、その挑戦は、息子本人が吟味して決めた結論であるとは限らないのです。次のページへ