エッサウィラの歴史 2. エッサウィラの建設

青で統一された漁船

青で統一された漁船。奥に見えるのが城壁と稜堡

1660年、モロッコ王国にアラウィー朝が起こる。国王ムハンマド3世は1765年からモガドールをヨーロッパとの貿易の拠点港として整備し、フランスの建築家テオドール・クルニュに依頼して新しい都市を建設する。

イスティクラル通り

イスティクラル通り。左の塔はモスク隣接のミナレット

クルニュは直線の城壁で街を取り囲み、それぞれの角に稜堡を配してヴォーバン式と呼ばれる城塞(星型城塞)を構築。これを機に街は「美しきデザイン」を意味するエッサウィラに改称された。

その後、アラウィー朝は鎖国政策をとり、エッサウィラは唯一の貿易港として開港され、ヨーロッパや新大陸との貿易拠点として繁栄した。しかし1800年にタンジェが開港してその役割を引き継ぐと、モロッコの中心はタンジェやラバト、フェズといった北部の都市に移り、エッサウィラの繁栄は終わりを告げる。

モロッコは16世紀頃からしばしばヨーロッパ列強の侵略を受け、ポルトガルやフランス、スペイン、イギリスといった国々の支配を受けた。エッサウィラもそうした被害にあったが、そのような複雑な歴史がこの文化都市を築き上げたのである。

 

世界遺産「エッサウィラのメディナ」の見所

白壁の美しい家並み

白壁の美しい家並み

エッサウィラはメディナ全体が見所となっており、通りの一本一本が魅力に満ちている。迷い歩いてその魅力を堪能していただきたいが、いくつか目立つ建物もあるので簡単に解説しておこう。

■城塞(スカラ)
北の稜堡

北の稜堡。敵の砲弾に備えて二重の城壁で囲まれている

街を取り囲む城壁の多くは18世紀、モロッコ国王ムハンマド3世の時代に築かれたもの。ヴォーバン式の特徴である出っ張りは北稜堡・南稜堡・港の稜堡などに見られる。ただ、エッサウィラの城塞は星型や正多角形のような対称形にはなっていない。メディナに入る門は、北から時計回りにドゥカラ門、マラケシュ門、スバア門、海の門、バフル門がある。

■官公庁跡
18世紀、エッサウィラは鎖国を行うモロッコ王国の唯一の貿易港として繁栄し、オランダやポルトガル、イギリス、フランスなどの領事館が設置されていた。これらの国の領事館跡が残されている。また、街の東に浮かぶ島には刑務所跡が見える。

 

■ユダヤ人街(メラー)
メラーのユダヤ人墓地

メラーのユダヤ人墓地 (C) World Imaging

イベリア半島でレコンキスタ(キリスト教徒の国土回復運動)が激しくなると、イスラム教徒と一緒にユダヤ教徒も北アフリカへと逃れ去った。メディナの北東部にはそうしたユダヤ教徒によって造られたユダヤ人街があり、共同墓地やシナゴーグ(礼拝所)跡が残されている。第二次大戦後のイスラエル建国に伴って多くのユダヤ人がこの地を去り、街は放棄された。

■宗教施設
エッサウィラは多宗教の融合都市でもあった。グラン・モスクやベンユーセフ・マドラサをはじめとするイスラム教の施設以外に、18世紀に建設されたポルトガル教会、19世紀に建設されたサイモン・アティアス・シナゴーグ跡などが残されている。モスク隣接の塔=ミナレットから1日5回流されるアザーン(礼拝の呼び掛け)も印象的だ。

 

■スーク(市場)
絨毯スーク

この辺りには絨毯を売る露店が並んでいる

漁港に魚市場が隣接しているほか、香辛料のスーク、ジュエリーのスーク、食材のスーク、衣料品のスークと業種ごとに市が立っている。これら以外にも通りのあちらこちらに絵や彫刻・陶器などを売る観光客向けの露店が出ている。

■漁港
多くの漁船が停留しており、造船所なども併設されている。魚を並べた漁師の周囲にはネコやカモメが群れをなし、ほのぼのとした景色を楽しむことができる。港の北には魚介類を並べたレストランが点在し、南には砂浜が広がっている。

■リヤド
リヤドは中庭のある民家を示すが、モロッコでは伝統的な民家を改修した古民家ホテルをリヤドと呼んでいる。味わいのある外観、花で彩られた中庭、昔ながらの暖炉といった設備はもちろん、オーナー家族と触れ合えるのも大きな魅力だ。