エキゾチックな城塞都市

一つひとつの通りがこのようにとても個性的。左は城壁

一つひとつの通りがこのようにとても個性的。左は城壁

城壁に備えられた大砲

城壁に備えられた大砲

エッサウィラは実にアーティスティックな街であるわけだが、街歩きをしていると堅牢な城壁や物々しい大砲が目につく。

実はこの街、15世紀にポルトガルが築いた城砦をベースにしており、18世紀には城壁でグルリと取り囲まれて城塞都市として発達した。城壁はフランスで流行していたヴォーバン式と呼ばれる当時最先端の様式。稜堡(りょうほ)と呼ばれる出っ張りが特徴なのだが、展望台のある北の稜堡や丸みを帯びた南の稜堡で確認できる。

城壁や門・宮殿・官公庁などは西洋風の石造りながら、モスクやマドラサ(モスク付属の高等教育機関)は北アフリカのアラブ様式。密集した家々や小さな窓などにはカスパと呼ばれる西アフリカの遊牧民族ベルベル人の城砦建築の影響も見える。こうした多文化の融合が、他に類を見ないエキゾチックな街並みを演出している。

 

豊かな海産物

豊かな海産物

文化の多彩性は料理などにも表れている。海岸らしく魚介類から野菜・果物まで多彩な食材を誇り、地中海料理のようなあっさりとした調理法で素材そのものの味を楽しむ一方で、タジン鍋をはじめとする砂漠地方の調理法も伝わっており、蒸しものや煮込み料理もよく発達している。

そして城壁はこうした特有の文化を守ることに大きく貢献した。ヨーロッパ列強や山賊の攻撃からメディナを守ったのはもちろん、その不便さから街並みを近代化からも守り抜いた。

 

エッサウィラの歴史 1. モガドールの誕生

地元の人々でにぎわうイスティクラル通り

地元の人々でにぎわうイスティクラル通り。右の女性が着ているフード付きの衣装をジェラバという

どうしてこのような多文化融合都市が生まれたのか、その歴史をひも解いてみよう。

港の稜堡と海の門

港の稜堡と海の門

エッサウィラは紀元前7世紀頃、地中海貿易を担ったフェニキア人の貿易港のひとつとして栄えていたことがわかっている。その後、ローマ帝国をはじめ多くの国がこの港を貿易拠点として活用した。

エッサウィラが飛躍するのは16世紀以降のことだ。1506年、ポルトガル王マヌエル1世はここに城砦を建設し、大西洋を南下して西アフリカやインドを目指すポルトガル船の拠点として整備した。この頃、この街は「モガドール」と呼ばれていた。

モロッコの南西部にはサハラ砂漠が広がっているのだが、砂漠を渡る隊商貿易で栄えていたのがベルベル人だ。ベルベル人は「黄金の都」トンブクトゥとマラケシュやエッサウィラといったモロッコの都市を行き来して貿易を行った。ポルトガルはこうしてもたらされる黄金や砂糖・糖蜜・象牙・奴隷などを本国へ輸出した。