身動きができないと負け
豊臣秀吉の将棋に見る勝つための発想法とは
あなたは、こんな悪夢をみたことがあるだろうか。迫り来るゴジラ。巨大な足がまさに頭上に。しかし、周囲には高い壁。それも、自分で造った壁である。
ひえ~動けないよお。寝汗ぐっしょりになって目を覚ましたことがあるだろうか。ガイドにはある。それも、1度や2度ではない。妻や子どもに叱責された夜におなじみの夢である。極論すればこれが身動きのとれない将棋だ。ああ、怖い。
飛車の邪魔をする歩兵
実例をご覧頂こう。図は将棋の最初の局面だ。赤丸の飛車。もちろん最強の攻め駒だ。だが、その頭上には味方の歩兵がいる。この歩兵が相手陣地に到達するまでに、単純計算では4手かかる。本来、飛車はどこまでもストレートに進める駒だ。しかし、歩兵がいるかぎり進めない。この状況は、たとえ飛車が横に動いたとしても、なんら好転しない。だって、どのラインにも歩兵がいるから。
幸せの条件
では、この図をご覧頂こう。飛車の前の歩兵に、いなくなってもらったのだ。これで先手なれば、一気に敵陣に飛車が突っ込み、成り、つまり、龍が誕生するのである。いきなりの有利、いや優勢、いやいや勝勢。ああ、なんという幸せ。この幸せの条件をまとめてみよう。
- 飛車の前に歩兵がいないこと
- 先手であること
なあんだ、この条件さえ満たせばいいのか。
しかし反則
そう、反則である。いや、反則というのもおこがましいほどだ。たとえば、ポッケにそうっと歩兵を隠していたとしよう。バレバレである。万が一並べた時点でバレなくとも、一手目に「龍」ができれば、さすがにバレる。もはや、あなたと将棋を指そうなどという人は皆無となる。だが、である。この反則を反則ではなくした男がいる。幸せの2条件を合法的にかなえたのは、誰もが知る歴史上の人物なのである。ああそうだ、落語調でガイドします。創作落語「太閤将棋」
時は桃山、ここは大阪城の一室でございます。「おい、清正。ちと聞きたいだぎゃ。面を上げや」
秀吉さん、頭をかきながら言いました。
「殿下、なんなりと」
清正さんはひげもじゃの顔を上げて応えました。
「余は、何じゃ」
「天下に比類無き太閤殿下にございます」
秀吉さん、満足そうにうなずきましてな。
「だぎゃあな。その太閤に対抗する男がおるだぎゃ。おっ、太閤に対抗、ぎゃははっ」
「うぷぷ。殿下、好調でございますな。ならば、それがしも。ええっと、太閤に対抗、それ最高、げははっ」
太閤さん、うなだれました。いつもこうなのですな。ギャグ好きの清正さんは、ついつい、秀吉さんにギャグ返しをしてしまう。だが、転換も早うございます。あわてて咳払いし、
「殿下に対抗するとは、いかなやつ。この清正が殿下に代わり成敗つかまつりましょう」
「いやいや、体力だけのおぬしには無理じゃ。なにせ、相手は宗桂じゃからな」
「宗桂!あの将棋指しですか。しかし、戦う前から無理とは、いかな殿下でも、ちと早計な。げははっ」
鼻をふくらませる清正さんに、秀吉さん、ほくそえんだ。
「宗桂、早計、ありゃ、そうけぃ。ぎゃははっ」
宗桂とは初代名人・大橋宗慶さんのこと。宗教の「宗」に桂馬の「桂」で宗桂です。もともとの「けい」の字は、お祝い事の「慶」、慶応大学の「慶」の字です。あの織田信長さんが桂馬の使い方が卓越していると絶賛されましてな。以来、桂馬の「桂」を使ったそうです。そりゃあ、強い強い。強いに決まってる。
「余は宗桂にどうしても勝てぬ。いや、たまには勝つ、しかし、それは余の権勢ゆえのこと。将棋と言えば知の勝負じゃ。知であれば、この秀吉、誰にも負けることはないはずだぎゃ。あやつを盤上でしとめたい。権力ではなく、智力だけで勝ちたい。何か良い方法はないものか。そう考えると、ああまた腹が痛んできた。も・もれそう」
秀吉さん、いててと腹をおさえました。ですが、大阪城は広うございましてな。厠まで距離がある。ゆえに清正さん、主君を背負い、はりきって叫びます。
「殿下、この清正、飛車のごとくに殿下をお連れいたし申すぞお」
清正さん、長い廊下を一直線に走る走る。
やっとたどり着いた厠。しかし、戸が開きません。先客がいたのですな。清正さんが戸を叩きます。どんどんどん。
「どこのどやつじゃ。開けい、開けい。殿下がご用足しじゃ」
すると中から、うぐぐと苦しそうな声がします。
「か・官兵衛でござる。それがしも、腹の調子、すこぶる悪うござる。なにとぞ、ごかんべえくだされ」
官兵衛さんに向かい、清正さんは爆発しました。
「いくらNHK大河の主役を張った官兵衛殿といえども、あかんべえ。この事態。殿下のご不評を覚悟めされい」
ところが、背の秀吉さんはにやりと笑いましてな。
「むむっ。飛車を邪魔すると不評か。歩兵なくば、飛車は一直線じゃ。もろうたぞ、清正、官兵衛。この秀吉、宗桂に勝ったぞ。まさしく飛で良しだぎゃ。ぎゃはは」
翌日、秀吉さんに呼ばれた宗桂さん。盤を挟んで秀吉さんが言いました。
「おい、宗桂。余は腕を磨いたぞ」
駒を並べる手を止めず、宗桂さん、かしこまります。
「これは、これは。ただでさえお強い殿下が、さらに腕を磨かれたとは、もはや宗桂など相手にならぬでありましょう」
秀吉さんは目を細め、えびす顔。
「そこでじゃ。そこで、余はおぬしに駒を落とそうと思う」
「な、なんと、殿下が駒落ちとは」
「もちろん、駒落ちゆえ、余の先手じゃ」
秀吉さんは、もう一度にやりと笑いましてな。自陣の飛車先の歩を駒箱におさめました。
「ゆくぞ、宗桂。先手太閤の初手はこれじゃ」
秀吉さんは飛車を裏返し、龍を宗桂の角頭にたたき込んだのでございます。
「げげっ」
さすがの宗桂さんも、あっけにとられましてな。目を皿のように丸くしました。すると、小指の隙間ほどあけた襖の裏から、2つの目玉がのぞいていおりました。
「官兵衛どの。おぬしが厠から出んかったのが、よかったですな」
「清正殿、たしかに、我が出んかったゆえ、殿下が勝った」
お後がよろしいようで。
長い歴史で愛され続けた将棋
もちろん、フィクションである。だが、宗桂に対し、秀吉が飛車先の歩を落とした将棋を指したことは史実である。また、このアイデアあふれる将棋を「太閤将棋」と呼ぶのも事実である。奈良・平安の世に始まったとされる将棋。今回は、その長い歴史の中でのユニークなエピソードをガイドした。将棋は、庶民から時の権力者にまで愛された、まさしく伝統文化なのである。あっ!いけね。ガイドは、妻から頼まれていた「お麩」を買い忘れていた。ひえ~、メニューはお吸い物なのにぃ。こりゃあ、今日見る夢には、ゴジラならぬ龍が登場しちまうな。そうです、そうです。麩がないから「龍」が出る。今度こそ、お後がよろしいようで……。
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