コルドバの歴史1. イスラム都市コルドバの誕生
グアダルキビール川に架かるローマ橋。川の名はアラビア語で「大いなる川」を示し、ユダヤ商人は川を利用した貿易で町を繁栄させた。右の建物はカラオーラの塔
カサ・アンダルシ(スペイン語でアンダルシアの家)の浴室。ここでは12世紀に建てられたイスラム教徒の住宅が見学できる
7世紀にイスラム教が成立すると、イスラム教を奉じるアラブ人はウマイヤ朝(アラブ帝国)を建て、中央アジア~西アジア~北アフリカに至る大帝国を築く。そして現在のモロッコからスペインへ入って西ゴート王国を滅ぼすと、イベリア半島を占領してイスラム教を広めた。
750年にウマイヤ家はアッバース家に滅ぼされてアッバース朝(イスラム帝国)が興る(「○○朝」は「○○家の王朝」を意味する)。ウマイヤ家の中で唯一生き残ったアブド・アッラフマーン1世は北アフリカを通ってイベリア半島まで逃走し、アッバース朝に対抗して756年に後ウマイヤ朝を建国する。
彼が拠点としたのは、紀元前2~前1世紀にローマ帝国が切り拓いた植民都市。ローマ時代から橋や道路・農地が整備されており、これをベースにウマイヤ朝の首都ダマスカスやアッバース朝の首都バグダードに負けない新首都を建設した。これがコルドバで、その中心となったモスクがメスキータだ。
こうしてコルドバは10世紀には世界最大の都市のひとつにまで成長し、町には300のモスク、200のハマム(公衆浴場)、50の図書館、20の学校が整備されたという。
コルドバの歴史2. キリスト教徒による占領
ユダヤ人街のフォトジェニックな街並み。白壁にパステルカラーのラインや植木鉢の花々がよく映える
ビアナ宮殿のバーのパティオ。ビアナ宮殿では12のパティオを見学することができる
その後もコルドバはイスラム王朝の下で繁栄し、レコンキスタが進むとスペイン北部から逃れてきたイスラム美術の芸術家たちがコルドバやグラナダをはじめとするアンダルシアの町々に集結し、芸術文化はさらに飛躍した。
灯火のキリスト広場のイエス像とカンテラ。カプチーノス教会の脇にある広場で、夕方になると8つのカンテラに火が灯される
1479年、カスティリャ王国とアラゴン王国が統合してスペイン王国が誕生。スペインはイスラム教最後の王朝であるナスル朝の攻略を開始し、1492年、首都グラナダを落としてレコンキスタが完成した。
[関連サイト]
- 世界遺産と世界史23.イスラム帝国の分裂(イスラム教とレコンキスタの歴史はこちら)
- フェズ旧市街/モロッコ