世界遺産/アジアの世界遺産

ペルセポリス/イラン(3ページ目)

当時世界のすべてを意味した古代オリエント世界。そのすべてを統一したアケメネス朝の夢の跡が聖都ペルセポリスだ。今回は西アジア三大遺跡のひとつにも数えられる、イランの世界遺産「ペルセポリス」を紹介しよう。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

聖都ペルセポリスを歩こう! 大階段~アパダナ編

牡牛を襲うライオンのレリーフ。レリーフの中にはクセルクセス1世がライオンを仕留める様子を描いたものもある ©牧哲雄

牡牛を襲うライオンのレリーフ。レリーフの中にはクセルクセス1世がライオンを仕留める様子を描いたものもある ©牧哲雄

先述の通りレリーフによると、各地の王が土産物を手にアケメネス朝の大王に謁見に訪れた都がペルセポリスだ。

ペルセポリスは約450×300mの長方形の大基壇で持ち上げられたその上に、様々な宮殿が建てられていた。入り口にあるのが大階段で、諸王たちはこの階段から入場した。

階段を昇ると登場するのが万国の門、クセルクセス門だ。この門には、翼を持った牡牛の身体に人間の頭がついた有翼人頭像があり、諸王たちを見下ろしていたが、のちに偶像崇拝を嫌ったイスラム教徒によって頭部が破壊された。

門を右に回るといよいよ謁見の間アパダナだ。アパダナはさらに高い基壇の上に建立された宮殿で、基壇の壁が一面レリーフで覆われている。レリーフには人々と貢ぎ物の隊列が克明に描かれている。

アパダナの柱頭を飾っていた牡牛の像 ©牧哲雄

アパダナの柱頭を飾っていた牡牛の像 ©牧哲雄

アパダナには柱が立っており、柱の上の柱頭には牡牛やグリフォン(ワシの頭と翼にライオンの胴体を持つ伝説上の生物)が彫られ、諸王を見下ろした。中央には正方形の広間があり、ノー・ルーズはここで祝われたといわれている。

神々の像で諸王を威圧しているようにも見えるが、実際アケメネス朝は柔軟な外交政策をとっていたようだ。

ユダヤ教徒をバビロン捕囚から解放したように、税さえ払えば各地の宗教と文化を認め、諸民族間の融和を押し進めていた。ペルセポリスには膨大な財宝が収められていたにもかかわらず、強固な城壁も深い堀も広大な軍事施設もない。このアパダナで、諸王たち同士で語らい合い、平和を謳歌していたのかもしれない。

 

聖都ペルセポリスを歩こう! タチャラ~百柱の間編

ダレイオス1世の宮殿タチャラ。タチャラとは「冬の宮殿」を意味する ©牧哲雄

ダレイオス1世の宮殿タチャラ。タチャラとは「冬の宮殿」を意味する ©牧哲雄

アパダナの南には、中央宮殿トリピュロン、ダレイオス1世の宮殿タチャラ、クセルクセス1世の宮殿ハディシュ、そしてハレムが並んでいる。

古代ペルシア語、エラム語、バビロニア語で書かれた楔形文字の碑文

古代ペルシア語、エラム語、バビロニア語で書かれた楔形文字の対訳碑文

ハレムの東にあるのが宝物殿だ。いまはその跡をとどめるだけだが、マケドニアのアレクサンドロス(アレクサンダー大王)がペルセポリスを破壊した際、10,000頭のロバと5,000頭のラクダで宝を運んだといわれるほどの財宝が収められていたらしい。

その北にあるのがアパダナと並ぶペルセポリスのハイライト、百柱の間(玉座殿)だ。かつては10×10の100本の柱があり、ペルセポリス最大の宮殿だった。残念ながらいまは柱は立っていないが、数多くの門や壁が残っており、王の玉座のレリーフや、クセルクセス1世がライオンと闘う有名なレリーフを見ることができる。百柱の間は軍隊に謁見する場所だったといわれている。

クーヘ・ラハマト山の山腹には、北の砦やアルタクセルクセス2世の墓、東の砦などがある。アルタクセルクセス2世の墓周辺からペルセポリスとその周囲を一望できるので、ぼけっと眺めてみよう。
  • 前のページへ
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 次のページへ

あわせて読みたい

あなたにオススメ

    表示について

    カテゴリー一覧

    All Aboutサービス・メディア

    All About公式SNS
    日々の生活や仕事を楽しむための情報を毎日お届けします。
    公式SNS一覧
    © All About, Inc. All rights reserved. 掲載の記事・写真・イラストなど、すべてのコンテンツの無断複写・転載・公衆送信等を禁じます