世界遺産/アメリカの世界遺産

アンティグア・グアテマラ/グアテマラ(4ページ目)

パステル・カラーに輝くコロニアル風の街並みに、熱帯の花々や動物たちをカラフルに織り込んだ民族衣装がよく映えるグアテマラの世界遺産「アンティグア・グアテマラ」。度重なる大地震にも関わらず愛され続けた美しい古都にご案内!

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

アンティグアの歴史1. シウダード・ビエハの時代

パルケ・セントラルに面した市庁舎。サンティアゴ博物館として公開されている ©牧哲雄

パルケ・セントラルに面した市庁舎。サンティアゴ博物館として公開されている ©牧哲雄

植民地としてのグアテマラの歴史は、アステカ王国を滅ぼしたエルナン・コルテスの右腕として活躍したスペイン人コンキスタドール、ペドロ・デ・アルバラードによる侵略からはじまった。

ほとんど倒壊しているラ・レコレクシオン教会 ©牧哲雄

ほとんど倒壊しているラ・レコレクシオン教会 ©牧哲雄

1520年代前半、アルバラードはスペインに降伏したインディヘナ(スペイン語で先住民の意。アメリカ大陸の先住民を指すことが多い)たちを引き連れてこの地を侵略。奴隷たちには食糧さえ与えず、同じインディヘナを殺して食べさせていたといわれるほど残虐な占領政策を経て、この地を平定した。

1527年、弟のホルヘ・デ・アルバラードは高地の温暖な気候と美しい景観、豊富な水と肥沃な土地に目をつけて、アグア火山の麓にシウダード・ビエハという街を造る。

1541年、大地震が街を襲い、シウダード・ビエハは崩壊。現在のアンティグアの場所に街を移し、再建した。とはいうものの、1583年には新しい街をも大地震が襲い、以降何度も何度もシウダード・ビエハは震災にあうが、その度に再建された。

 

アンティグアの歴史2. 古き良き街へ

アンティグアのシンボル、時計台エル・アルコ ©牧哲雄

アンティグアのシンボル、時計台エル・アルコ ©牧哲雄

街はメソ・アメリカ一帯を治める首都として発展するが、しかしそんな街を1773年に未曾有の大地震が襲う。あまりにも大きな被害に、3万人近い人々が再建をあきらめて移住。政府も首都を現在のグアテマラ・シティに移してしまう。

廃墟が美しいサンタ・クララ修道院 ©牧哲雄

廃墟が美しいサンタ・クララ修道院 ©牧哲雄

しかし、この街を愛し続けた人々は街を徐々に再建し、1799年、古き良き時代を意味する「アンティグア」に改名した。古き良き色彩を残した愛らしい街並みが、こうして残されることになった。

美しい街並みと独特の文化はいまに至るまで残されているが、マヤの子孫たちに残された侵略の痛手はいまなお消えていない。白人や白人とインティヘナの混血であるメスティソたちによる富の独占は続き、差別が公然と行われている。豪邸に住む人々の肌は白く、スラムで暮らす人々の顔つきは明らかに日本人に近い。ぜひこの辺りの現実も目の当たりにしてほしい。
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