遅沢さんの少年時代はどんな生徒さんでしたか?

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遅沢>
バレエは6歳で始めました。きっかけは妹がやっていたから。結局妹は辞めてしまいましたけど(笑)。毎日毎日、ひたすらバレエをやってましたね。学校が終わるとレッスンに行って、そのまま深夜まで稽古して帰ってくるという生活。中学一年生くらいになると、東京までレッスンに通うようになりました。普段は地元で稽古に打ち込み、週末になると東京に行ってその成果を見せるんです。栃木から新幹線で1時間半くらいかけて、毎週ひとりで通ってました。

AMスチューデンツにいたころは、服部有吉(カナダ アルバータ・バレエ団)、那須野圭右(モーリス・ベジャール・バレエ団)、大野大輔(スターダンサーズ・バレエ団)が同期で、いつも4人で一緒にいたのを覚えています。ヴァリエーションの曲を次々とかけては、代わりばんこで踊ったり……。いい時代だったのかもしれません。


プロになろうと思ったのはいつ頃でしょう。

ph

 

遅沢>
プロになろうと思ったのは小学六年生くらい。とにかくバレエが楽しいからプロになると決めた感じでした。バレエダンサーになるという夢は、それ以来揺らがなかったですね。他に目が移ることはなかったというか、バレエが一番の発散の場でした。

中学で東京に出て来て、みんなと出会った、仲間が良かったというのも大きかったと思います。当時はちょうど、熊川哲也さんや堀内元さんが海外で活躍していた時代。“僕らも海外に行こう!”と言っては、“この先どうする?”“留学先はどうする?”なんて話を4人でしょっちゅうしてました。

地元の教室では男の子は僕ひとりでしたし、いわゆるボーイズクラスで習ったことはありません。AMスチューデンツのときも男女合同でした。今はボーイズクラスがあるみたいだけど、当時はまだできてなかったんです。ただ周りに男の子がいたので、照れのようなものは全然なかったですね。

ph

 

16歳でハンブルク・バレエ学校に留学しました。ハンブルクのときはボーイズクラスだったので、そこでほぼ初めて男の子だけでレッスンした形です。クラシックは僕が一番上手かったですよ。だから驚きとかはなかったですね。ただキャラクターやコンポジション、振付などさまざまなクラスがあったので、最初の頃は戸惑う部分もありましたけど、最終的にはどれも楽しかった覚えがあります。

ハンブルクにいた頃は、もうがむしゃらでした。レッスン以外でも、学校で美術館に連れて行ってもらったり、教会でパフォーマンスを観たりと、いろいろなものを観させてもらって、いろいろな経験をさせてもらいました。バレエのビデオもすり切れるほど見たし、美術も見たし、映画を観たり、演劇を観たり……、といったことは日々やってましたね。意識はしてなかったけど、周りがそういう環境だったので、いろいろなものに自然と触れることができた。あの頃は何とも思っていませんでしたが、今考えるとそれが良かった気がします。