Jリーガーという華やかな職業の後に就いたのは飲食店での雑用の仕事
薮崎真哉氏は中学卒業後、千葉県にあるサッカーの名門習志野高校に進学し2年時にインターハイで日本一を経験。1997年に柏レイソルに入団するも6シーズン目に戦力外通告を受けた。その後飲食店スタッフや営業の仕事を経て、2008年にwebリスクコンサルティング事業やwebマーケティング事業を手がけるジールコミュニケーションズを、また2013年には体育会系学生の就職を支援するジールアスリートエージェンシーを設立し、ともに代表取締役に就任する。
Jリーガーというプロスポーツ選手からベンチャー企業の経営者というビジネスのプロへと転身した姿には、まさに「プロスポーツ選手がビジネスでも成功する秘訣」が隠されていると感じた。「成功者」のイメージが強い薮崎氏。しかしながら現在に至るまで経験してきたことは、「成功」とはほど遠いものであった。
元Jリーガーからベンチャー企業の経営者となった薮崎氏
薮崎:多くのプロスポーツ選手が引退後に飲食店を立ち上げているのを見て、自分も漠然と将来お店を持って飲食事業の社長をやろうと思いました。だからまずは修行のために銀座のダイニングレストランで働き始めました。そういう意味では結構前向きだったと思います。「もうJリーガーではないけど俺は別の道で成功してやるんだ」って気持ちがありましたから。だから掃除や雑用もアルバイトと一緒に一生懸命やっていました。
小寺:Jリーガーから飲食店の雑用ですか、プライドとかは邪魔にならなかったですか?
薮崎:不思議とプライドは捨てられたんですよね、なんでだろう(笑)。でも「今に見てろ!」っていう気持ちはありました。自分は元Jリーガーといっても6年間で出場はたったの2試合でしたから、そこへのコンプレックスは強くあって。だから「絶対俺は別の道で成功してやる」って必死に努力しました。自分で背水の陣をひき、プロでやってる時よりも頑張っていたと思います。
薮崎氏がサッカーからビジネスにうまく方向転換できた一番の要因は、元Jリーガーであったことに対する「プライドを捨てること」ができたからであるように感じた。それができたのは、「サッカー」は成功するための1つの手段であり、その手段が「ビジネス」という新しいものに変わっただけ……という感覚があったからかもしれない。
しかしそんな希望に溢れた薮崎氏は、2度目の大きな挫折を経験することになる。店長になれば年収1000万円も夢じゃないというふれこみで入った会社。実際は目標にしていた店長の給料が、それよりも格段に低いという事実を知ってしまったのだ。目指す目標がなくなり悩みに悩んだ末、選んだ道は飲食店の仕事を辞め「営業」という新しい仕事を始めることだった。