世界遺産/アジアの世界遺産

ワット・プー/ラオス(2ページ目)

最高神シヴァの聖なる山と称えられたカオ山の麓には、1500年以上前から古代都市が栄えていた。たびたび国が変わり、宗教もヒンドゥー教から仏教へと移ったが、カオ山とワット・プーは聖地として変わらず崇められてきた。山や川・寺院が一体化した美しい文化的景観は、神と自然を同一視する世界観の表れでもある。今回はラオスの世界遺産「チャムパーサック県の文化的景観にあるワット・プーと関連古代遺産群」を紹介する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

カオ山とワット・プー、1000年の歴史

本殿のファサード北側のレリーフ群

本殿のファサード(正面)北側のレリーフ・彫刻群。右の像は門衛神ドヴァラパーラ、左は大地の女神ナーン・トラニー(プラメー・トラニー)、右上のまぐさ石のレリーフはガルーダに乗るヴィシュヌ神

北神殿のレリーフ

北神殿のレリーフ。上は聖牛ナンディーに跨るシヴァ神とその妻パールヴァティー(ウマー)、下は時を司る冥界の神カーラ

5世紀頃には現在ナーンシダー遺跡がある場所を中心に、クメール人が古代都市シュレストラプラを築いていたらしい。彼らは6世紀頃に真臘(しんろう。チェンラ)という国を建て、タイ南部・カンボジア・ベトナム南部を治めていた扶南(ふなん)に従属した。

7世紀にその扶南を倒すと、真臘はカンボジア・ベトナム南部を広く支配する。8世紀に陸真臘と水真臘に分裂した際に、シュレストラプラは陸真臘の中心都市として繁栄した。この頃からインドネシアのシャイレーンドラ朝の支配を受けるが、802年にアンコール朝として独立。アンコール朝はカンボジアを中心にラオスとタイの多くを占領し、大帝国を築き上げた。

つまり、シュレストラプラがあったチャムパーサックはクメール人の故郷のような土地で、ここから真臘が生まれ、アンコール朝に引き継がれたことになる。そしてカオ山はリンガ・パルヴァータと呼ばれ、クメール人の聖地としてあり続けた。

 

十字型テラスにたたずむ門衛神ドヴァラパーラとパークワン

十字型テラスにたたずむ門衛神ドヴァラパーラ。ラオスの人々はバナナの葉とマリーゴールドの花で作ったパークワンを供えている

アンコール朝の首都アンコール・トムやアンコール・ワットが築かれた11~13世紀に、シュレストラプラの隣接地に城塞都市プラサート・ワット・プーが建設され、都市の中心はその周辺に移動する。そしてアンコール・トムとワット・プーはアンコール街道という直線の道でつなげられ、王たちもしばしば参拝に訪れた。現在見られるワット・プーの多くの遺跡はこの時代のものだ。

15世紀にアンコール朝が滅びると、ラーンサーン王国がこの地を支配。ラーンサーン王国を建てたラオ族は上座部仏教を奉じていたが、カオ山はラオ族にも聖地として敬われ、寺には仏像が安置された。

18世紀はじめにラーンサーン王国が3国(ルアン・パバン王国、ビエンチャン王国、チャムパーサック王国)に分裂すると、ラオス南部はチャムパーサック王国として独立する。ワット・プーを中心にチャムパーサックは王国の首都として栄えたが、王国の中心は次第にラオス南部の都市パクセに移り、その役割を終える。

 

ワット・プー遺跡公園を歩こう!

ゾウの石

本殿の北に置かれたゾウの石。辺りにはこのような巨石が多数転がっている。その起源は謎とされている

ラオスの国花チャンパー(インドソケイ/プルメリア)

ラオスの国花チャンパー(インドソケイ/プルメリア)。参道や歩廊の脇にはたくさんのチャンパーが植えられている

現在、チャムパーサック県の中心は人口約8万の県庁所在地パクセ。県名のもとになったチャムパーサックは人口3000人ほどの小さな町だが、遺跡や寺院・コロニアル様式の住宅群などに繁栄の跡を見ることができる。観光の目玉はなんといってもワット・プー遺跡公園だ。その概要を紹介しよう。

■遺跡展示ホール
遺跡公園の入口にある博物館で、出土品の数々が展示されている。リンガは5世紀のもので、シュレストラプラの貴重な遺物と見られる。

 

■バライ
南神殿のファサード

南神殿のファサード。まぐさ石にはカーラに乗るシヴァ神が彫られている

人工池で、4つほどの池が並んでいる。ヒンドゥー教ではけがれを払い、罪を流す沐浴が重要視されているが、沐浴場であったとも、須弥山を囲む聖なる海を示すともいわれる。そうした宗教的な目的に加えて、田畑の灌漑施設として利用されていたようだ。

■参道・歩廊
遺跡群の中央を通る道で、左右にリンガの形をした石灯籠が並んでおり、バライと神殿群・楼門を結んでいる。

■神殿群
参道の先に現れるふたつの建物は南神殿(女神殿)・北神殿(男神殿)で、アンコール朝期の11世紀頃の建立。歩廊の南にある建物はナンディー神殿で、シヴァの乗る牡牛の動物神ナンディーを祀っていた。このナンディー神殿がアンコール街道の起点となっていた。

 

■楼門跡
聖泉

聖なる水が湧き出しているという聖泉

かつてはここに門が建てられていた。現在は十字型テラスとドヴァラパーラ像、ナーガ像、ヨーニなどが残されているのみ。

■本殿
12世紀のアンコール様式だが、祠堂の奥は7世紀頃のチャンパ様式。本尊はリンガだったが、ラーンサーン王国の時代に仏教寺院となり、仏像が据えられた。 

■聖泉
聖なる水と考えられた湧水で、かつては石樋を通して本殿のリンガに注がれていた。ラオスの人々は聖水をペットボトルなどに入れて持ち帰っている。

 

■その他の遺構・遺物
ワット・プーには上以外にも、仏足石やゾウ・ヘビ・ワニの石などが残されている。これらの巨石はヒンドゥー教が広まる5世紀以前のものと見られているが、詳細はわかっていない。

■ワット・プー祭
フルムーン・ナイト

フルムーン・ナイトで本殿から遺跡公園を見下ろす (C) VAT PHU-CHAMPASAK-LAOS

2009年から毎年1~2月にワット・プー祭が開催されており、4~5日の開催期間に数万~10万もの人出を集めている。僧による托鉢や伝統衣装に身を包んだ王侯行列、バライでのボートレースなどが行われている。

■フルムーン・ナイト
約4000ものロウソクで遺跡を灯す催しで、ワット・プー祭の最終日や、年に何度かの満月の夜に開催されている。開催時期については下記のワット・プー公式サイトの [Events] を参照のこと。

[関連サイト]
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