カオ山とワット・プー、1000年の歴史
本殿のファサード(正面)北側のレリーフ・彫刻群。右の像は門衛神ドヴァラパーラ、左は大地の女神ナーン・トラニー(プラメー・トラニー)、右上のまぐさ石のレリーフはガルーダに乗るヴィシュヌ神
北神殿のレリーフ。上は聖牛ナンディーに跨るシヴァ神とその妻パールヴァティー(ウマー)、下は時を司る冥界の神カーラ
7世紀にその扶南を倒すと、真臘はカンボジア・ベトナム南部を広く支配する。8世紀に陸真臘と水真臘に分裂した際に、シュレストラプラは陸真臘の中心都市として繁栄した。この頃からインドネシアのシャイレーンドラ朝の支配を受けるが、802年にアンコール朝として独立。アンコール朝はカンボジアを中心にラオスとタイの多くを占領し、大帝国を築き上げた。
つまり、シュレストラプラがあったチャムパーサックはクメール人の故郷のような土地で、ここから真臘が生まれ、アンコール朝に引き継がれたことになる。そしてカオ山はリンガ・パルヴァータと呼ばれ、クメール人の聖地としてあり続けた。
十字型テラスにたたずむ門衛神ドヴァラパーラ。ラオスの人々はバナナの葉とマリーゴールドの花で作ったパークワンを供えている
15世紀にアンコール朝が滅びると、ラーンサーン王国がこの地を支配。ラーンサーン王国を建てたラオ族は上座部仏教を奉じていたが、カオ山はラオ族にも聖地として敬われ、寺には仏像が安置された。
18世紀はじめにラーンサーン王国が3国(ルアン・パバン王国、ビエンチャン王国、チャムパーサック王国)に分裂すると、ラオス南部はチャムパーサック王国として独立する。ワット・プーを中心にチャムパーサックは王国の首都として栄えたが、王国の中心は次第にラオス南部の都市パクセに移り、その役割を終える。
ワット・プー遺跡公園を歩こう!
本殿の北に置かれたゾウの石。辺りにはこのような巨石が多数転がっている。その起源は謎とされている
ラオスの国花チャンパー(インドソケイ/プルメリア)。参道や歩廊の脇にはたくさんのチャンパーが植えられている
■遺跡展示ホール
遺跡公園の入口にある博物館で、出土品の数々が展示されている。リンガは5世紀のもので、シュレストラプラの貴重な遺物と見られる。
■バライ
南神殿のファサード。まぐさ石にはカーラに乗るシヴァ神が彫られている
■参道・歩廊
遺跡群の中央を通る道で、左右にリンガの形をした石灯籠が並んでおり、バライと神殿群・楼門を結んでいる。
■神殿群
参道の先に現れるふたつの建物は南神殿(女神殿)・北神殿(男神殿)で、アンコール朝期の11世紀頃の建立。歩廊の南にある建物はナンディー神殿で、シヴァの乗る牡牛の動物神ナンディーを祀っていた。このナンディー神殿がアンコール街道の起点となっていた。
■楼門跡
聖なる水が湧き出しているという聖泉
■本殿
12世紀のアンコール様式だが、祠堂の奥は7世紀頃のチャンパ様式。本尊はリンガだったが、ラーンサーン王国の時代に仏教寺院となり、仏像が据えられた。
■聖泉
聖なる水と考えられた湧水で、かつては石樋を通して本殿のリンガに注がれていた。ラオスの人々は聖水をペットボトルなどに入れて持ち帰っている。
■その他の遺構・遺物
ワット・プーには上以外にも、仏足石やゾウ・ヘビ・ワニの石などが残されている。これらの巨石はヒンドゥー教が広まる5世紀以前のものと見られているが、詳細はわかっていない。
■ワット・プー祭
フルムーン・ナイトで本殿から遺跡公園を見下ろす (C) VAT PHU-CHAMPASAK-LAOS
■フルムーン・ナイト
約4000ものロウソクで遺跡を灯す催しで、ワット・プー祭の最終日や、年に何度かの満月の夜に開催されている。開催時期については下記のワット・プー公式サイトの [Events] を参照のこと。
[関連サイト]
- VAT PHU-CHAMPASAK-LAOS(ワット・プーの公式サイト。英語/フランス語/ラオス語)