製材工場が生んだ財産で、アートの街へと変貌を遂げた田舎街
豊かな森林資源と水資源に恵まれた中部地方の街マンッタには、19世紀に製材工場が誘致され、やがてそれで富を築いた資産家が見事な私設美術館をたてたことからアートの街と呼ばれるようになった
観光都市タンペレからバスで最短1時間20分、あるいは最寄りの隣町まで電車で1時間(曜日によって駅からシャトルバス運行)というアクセスの場所にある、フィンランド中部湖水地方の街マンッタ(Mänttä)。人口わずか6000人程度で、中心街さえも豊かな森と湖に囲まれたこの小さな街が昨今、国内外のアート好きな観光者たちのあいだでにわかに注目を集めているのです。もしあなたが、フィンランドならではの美しい自然風景と、フィンランド美術史を作り上げてきた芸術作品の両方に興味があるなら、ヘルシンキからでも日帰り旅行が不可能ではないマンッタの街は、十二分に訪れる価値のある観光地候補となるはずですよ!
中心街の湖畔には、マンッタの街興しの第一人者とも言えるグスタフ・A・セーラキウスを称えたモニュメントが佇んでいる
マンッタが全国的に知られるようになったのは、19世紀にこの地に製材工場を誘致して繁栄した、セーラキウス(Serlachius)一族の功績がすべて、といっても過言ではありません。1868年に、それまでタンペレで薬局を営んでいたグスタフ・アドルフ・セーラキウス(Gustaf Adolf Serlachius)氏が、この場所の恵まれた森林資源と物資の運搬に便利な水運に目をつけて湖畔に製材工場をつくり、木材産業の開拓に精を出したことで、街がにわかに勃興したのでした。
街の規模にしてはとても大きくて立派な教会もマンッタのシンボルのひとつ
事業主は変わりましたが、今でもマンッタでは歴史あるレンガ製煙突の突き出た製材工場が、湖畔にて現役稼働中。自然景観の中に工場が見える、というのは観光者にとってあまり聞こえはよくないかもしれませんが、この街の人や、地域資源を活かした製材製紙工場によって発展を遂げてきた湖水地方の人々にとっては、この昔ながらの工場こそが、街の誇り高きシンボルなのです。
セーラキウス一族が立ち上げた、国内有数の由緒ある美術財団
セーラキエス一族のかつての大邸宅内は、現在では財団が所有する美術品を公開する美術館の一部となっている
国民的画家アクセリ・ガッレン=カッレラによる、作曲家シベリウスなど芸術家仲間たちとの飲み会風景を描いた名作『プロブレーミ』も当財団の所有【写真提供:イェスタ・セーラキウス美術財団】
工場創業者のグスタフ氏の甥っ子であり、20世紀前半にかけておじの会社の社長を務めたイェスタ・セーラキウス(Gösta Serlachius)氏は、美術に大変造詣が深い人物で、彼の社長就任中には収益の多くをヘルシンキのクンストハレ(コレクションを所有しない美術館)の創建に寄付したり、中部フィンランドを拠点としていた芸術家たちのパトロンとして財政支援をおこなったりしていました。フィンランド史上最も有名な画家のひとりである、アクセリ・ガッレン=カッレラ(Akseli Gallen-Kallela)も、グスタフ氏の代からセーラキウス一族と交流があり、支援を受けていたひとり。そして1933年に、イェスタはついに自身の名を冠したイェスタ・セーラキウス美術財団を創設し、本格的に国内の才能のある芸術家たちの作品のコレクションや保護に取りかかったのです。
やがて私設美術館が作られた1945年以降は、所持作品の展示事業も徐々に進められていきました。イェスタ氏の死後も、後代に渡って美術財団の維持やコレクション強化が熱心に続けられ、2014年には従来の作品展示場所であった旧邸宅のそばに、イェスタ・パヴィリオンと名付けられたモダンな外観の巨大な展示会館が開設されたのでした。
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次ページでは、マンッタ地区内で見られるセーラキウス財団の美術館や歴史博物館の見どころについてチェック!