新作『太陽』の発端、作品のテーマは?
塩谷>まず、母親の存在がありました。僕にはひとまわり歳の離れた兄がいますが、実はその間に生まれてくるはずだった兄弟がいたということをふとしたときに母親から聞いて。処置の際に麻酔をしたとき、眠りに落ちる瞬間に太陽を見た、夕陽のような風景を見た、という話を聞いたのが着想の発端になっています。あと太陽という普遍的なものに対する想い、昇ってまた沈んでいく、その循環を表現したいという気持ちもありました。最初が父親で、次が母親。自分の場合、どうしても私的なものになってしまうみたいです。自分としては今回は幼少期の風景などを入れてるつもりはないけれど、でもはたから見ると入っているような気もします。幼児性みたいなものとか、母親に対する気持ちがどこかに出てきてるかもしれません。やっぱり男ってそういうものがあるのかなと……。
大駱駝艦・天賦典式「ウイルス」(2012)撮影:松田純一
塩谷さんの創作法、振付法とは?
塩谷>前作は最初から追っていくような形で順番につくっていきましたが、今回は思いついたアイデアをぶつ切りの状態でどんどん取り入れています。僕はどちらかというと、振りをつくるというより普通の行為としてそのまま引き出すタイプ。形を決めていくというよりは、反射的な動きや生理的な動きを継続してやっていく。次々振りを変えていくというのではなく、同じ動きをずっとやり続けることが多いですね。まずは、みんなにイメージを伝えるところからはじめています。自分の頭の中でつくったものを渡して、動いてもらい、イメージと違うと感じたら修正していく。振りを渡すときは、言葉と動き半々ですね。例えばはじめに首を振るような動きを渡して、言葉で“そこは電気が身体を走っているイメージで”と補強したり。
“あなたにとって太陽とは何ですか?”とみんなに聞いてみたりもしました。答えはさまざまで、“なくてはならないもの”とか、“日焼け”と言ってるひともいましたね。やっぱり抽象的なものなので難しくて、そこで出てきた言葉が直接振りに結びつくというよりは、漠然と遠くを見るような感じ。僕の中でも太陽=ずっと巡り巡るものというイメージがあるので、なかなか直接的な振りには結びつかないんですけど……。
大駱駝艦のメンバーとは共通言語のようなものがあるので、細かいことを言わなくてもやってくれたりするし、作り手にとってはすごくラクだと思います。その反面、自分のルーツを晒すという意味では、かなり照れもありますね。何故こんなことをやらせてしまってるんだろうとか、きっとやってる方はさっぱりわからないだろうなと思ったり。
作品をつくるというのは、自分の中身を見せるような部分もある。個人に由来していたり、僕の趣味も入っていたりするので、恥ずかしいし、ある意味傷つくと思う。そこはたぶん、作り手に共通する気持ちだと思います。
「父壁」(2009) 撮影:松田純一