亭主達の底力~酒と将棋仲間
日本人の底力である「ご近所」は女房達だけのものではない。頑固で、人付き合いが苦手な亭主達にも「ご近所」がある。彼らにとって井戸端に代わるものとは何なのか。マッサンに登場する男達の必須アイテムは二つだ。
一つは酒である。マッサンをはじめ、男衆は何か嫌なことがあると、なじみの食堂で一人酒となる。手酌が進み、ぐでんぐでんになる。酔った男に別の男が寄ってくる。
「どうしたんだ、お前。それくらいにしとけよ」と声をかける、だが受け付けない。
「ほうっておいてくれ」
「なんだよ、その言い方は」
必然的にけんかになる。両者とも「よし、勝負だ」といきり立つ。彼らはどのようにして勝負を決するか。ガイドが語るのだから、もう、おわかりだろう。そう、2つめの必須アイテムは「将棋」なのである。なじみの食堂で、使い込んだ将棋盤を囲む男達。彼らの必需品は、ごく普通の風景として溶け込んでいる。井戸端同様に随所に登場するのが将棋シーンなのだ。男達の間でできていった将棋仲間という関係が、亭主達の底力を生み出している。ちなみに、マッサンは「仲間内での名人」だ。さて、将棋ガイドという立場から、もう少し将棋にスポットを当ててみよう。
盤をはさんで生まれるドラマ
盤をはさんでのドラマも生まれる。ある時、こんなことがあった。ウイスキー造りの夢破れ、会社を辞し、途方に暮れるマッサン。家賃も払えぬ窮乏。なんとかせねば、食べるものも底をつく。背に腹はかえられぬと食堂の店主に頼み込む。
「俺を雇ってください」
食堂だって、余裕があるわけではない。日々の暮らしで精一杯。人を雇うなんて無理に決まっている。だが、店主はこう語る。
「よし、雇ってやる。だが、条件がある。俺に将棋を教えてくれ」
情にもろいが、素直になれぬ男達の、まさしく不器用なドラマがここにある。この時、81マスは涙の受け皿となった。
底力の象徴としての将棋
究極まで研ぎ澄まし、熾烈を極めるプロ棋士達の対局は素晴らしい。私はその感動を記事にしてきた。例えば升田の豪快さ(過去記事)、羽生の猛手(過去記事)、米長の泥沼(過去記事)、森内のステルス(過去記事)…。その戦い模様は身震いするような迫力を帯びている。史上最強のアマとされる早咲氏(過去記事)をはじめ、熱戦を繰り広げるアマ強豪達の活躍。女性であるがゆえにあきらめていた将棋を、なお愛し続けた杉崎(過去記事)。数多くのドラマが、私たち将棋ファンの心を揺さぶる。
すでに波瀾万丈のマッサンとエリー、はてさて、これから、どうなることやら。いずれ舞台は大阪から北海道へと移っていくというが、北の地でも将棋盤は登場するのだろうか。ガイドとしてはここにも注目したい。いずれにせよ、目が離せぬ日々が続くことは間違いない。
中島みゆきの主題歌を、みゆき様と一緒に口ずさむ妻。その邪魔をせぬように、こたつにそっと入り込む寒い朝が、また明日もやってくる。悲しいことであるが、そんなガイドに、底力はない。
(了)
追加情報
2015年3月をもって、大好評のうちに終了した『マッサン』。第2幕となる北海道の地でも将棋シーンが登場するだろうか、とガイドは書いたが、まさしくその通りとなった。風間杜夫が扮する森野熊虎が大の将棋好きで、そのシーンは、第1幕を越える頻出ぶりであった。ガイドとしては非常に嬉しい展開となったことを追加しておきたい。
(2015年4月1日)
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追記
「敬称に関して」
文中における個人名の敬称について、ガイドは下記のように考えています。
(1)プロ棋士の方の活動は公的であると考え、敬称を略させていただきます。ただし、ガイドが棋士としての行為外の活動だと考えた場合には敬称をつけさせていただきます。
(2)アマ棋士の方には敬称をつけさせていただきます。
(3)その他の方々も職業的公人であると考えた場合は敬称を略させていただきます。
「文中の記述に関して」
(1)文中の記述は、すべて記事初公開時を現時点としています。