フランク・ブレットシュナイダーにインタヴュー
ここまで東ドイツの共産テクノについて研究してみましたが、やはり実際にやっていたアーティストに話を訊いてみないと実情は掴みきれない。調査をしたバンドの中で一番過激で、一番興味が湧いたのが、Kriminelle TanzkapelleとAG. Geigeという二つのグループです。この二つのバンドを起こしたのは、フランク・ブレットシュナイダー(Frank Bretschneider)。彼は、現在もミニマルテクノ系を含めたエレクトロニックミュージックの世界で活躍する音楽家。彼にコンタクトをし、僕の研究の主旨を説明した所、インタヴューを快諾してくれました。美しすぎる世界観を広げるフランク・ブレットシュナイダーの来日ツアーが決定!!(Qetic)
東ドイツに生まれて
ガイド:フランク、80年代での東ドイツの音楽シーンについて質問に答えて欲しいという僕の突然の依頼に応えてくれ、ありがとうございます。先ずは背景を説明させてください。ニューウェイヴ・ムーヴメントは、70年代末より世界的に、少なくとも資本主義陣営に於いては、始まりました。日本もその例外ではなく、ニューウェイヴの一部として捉えていますが、テクノポップは日本で広まりました。Kraftwerkの影響も強く、日本ではYellow Magic Orchestra (YMO)は商業的な成功も収めました。
僕はその時代から今までこのジャンルの音楽を聴いてきて、この13年くらいはそれについて書いています。自分の興味は、世界中のポップ・ロックといった音楽にもあるので、自然と世界中のこのジャンルの音楽を探し始めました。人々がポップ・ロックを聴く国で、ほぼいつもニューウェイヴ・テクノポップをやっているアーティストを見つける事ができました。少なくとも、資本主義陣営においては。最近になって、冷戦時代でも共産主義陣営でニューウェイヴ・テクノポップをやっている人たちが結構いる事を発見しはじめて、さらに調査をする事にしたのです。
2014年3月に僕はベルリン(主に旧東ベルリン)とドレスデンを訪問し、ベルリンの壁が崩壊する前、旧東ドイツで人々はどのように暮らしていたのかを理解しようとしました。こと音楽についてはそれほど収穫はなかったのですが、彼らがどのような状況に置かれていたかを知る上では大変役に立ちました。音楽についてさらに調べてみると、東ドイツにもニューウェイヴ・テクノポップを取り入れていた人たちがいる事が分かりました。ドイツはKraftwerkを生んだ国ですから、期待は持っていたのです。それらのアーティストの中で、Kriminelle TanzkapelleとAG. Geigeという二つのグループを見つけ、あなたの名前が両方ともにクレジットされている事を発見したのです。
とても長い前置きになりましたが、フランクはどこで生まれ育ったのですか? ティーンエイジャー時代、そこはどんな街だったのですか?
フランク:
僕はObercrinitzというチェコ国境近くのザクセン州のオーレ山脈(Ore Mountains)にある小さな村で生まれました。しかし、育ったのは、ドレスデンから80kmほどのカール=マルクス=シュタット県(Karl-Marx-Stadt)〔現在は、ケムニッツ県(Chemnitz)〕で、そこで30年ほど暮らしていました。当時(そして現在も)ケムニッツ=ツヴィッカウ(Chemnitz-Zwickau)の都市圏では一番大きな街で、機械工業、織物生産、車両生産といった産業部門では最重要とされる経済圏の一つでした。「ザクセンのマンチェスター」と呼ばれていました。街は、英米の爆撃によって1945年に酷く破壊され、9割くらいの市街地は50年代から70年代にかけて、典型的な戦後の社会主義建築によって再興されました。