テクノポップ/海外のテクノポップ

東ドイツで活動したアーティストに取材(共産テクノ)(2ページ目)

ここまで僕の共産テクノに関する調査研究をしてきましたが、今回は実際にその時代に活動していた東ドイツ出身のアーティストであるフランク・ブレットシュナイダーに突撃取材。現在もraster-notonというレーベルを立ち上げ、電子音楽の世界で現役バリバリのフランクに僕の疑問をぶつけてみました。

四方 宏明

執筆者:四方 宏明

テクノポップガイド

ラジオから流れてきた音楽

ガイド:
東ドイツ時代にはどのような音楽を聴いていたのですか? 東ドイツの人々は資本主義陣営の音楽、例えば、Ata TakやZick Zackなどからのノイエ・ドイチェ・ヴェレなんかを聴く事はできたのですか?

フランク:
実際のところ、僕は、Beatles、Rolling Stones、The Who、Pretty Things、The Doors、The Animals、CCR、Jimi Hendrix、Pink Floyd、Grateful Dead等の英米のロックミュージックを聴いて育ちました。後に、ジャズ、プログレ、電子音楽、現代音楽も。初期において僕に影響を与えたのは、Miles Davis、King Crimson、Frank Zappa、Soft Machine、Tangerine Dream、Agitation Free、Can、Bela Bartok、Pierre Henry、Igor Stravinsky、Claude Debussy等です。

しかし、それらのアーティストたちのレコードを買う事は出来ませんでした。代わりに、ラジオが主要な方法だったのです。西ドイツのラジオ局へのアクセスは簡単で、それぞれの種類の音楽でかなり良い番組をやっていました。局によっては、東ドイツのリスナーのために音楽をテープに録音できるように特別はサービスをしてくれました。実際、みんなテープレコーダーを持っていて、僕は、音楽を聴き、テープ録音するために時間を費やしていました。もちろん、ニューウェイヴがやって来た時、僕も興味があって、Throbbing Gristle、The Residents、Cabaret Voltaire、Suicide、The Art Of Noise等は特に。西ドイツにもOKなものはあって、例えば、Din A Testbild、Ideal、Sprung Aus Den Wolken、Foyer Des Arts、Trio、Einstürzende Neubauten等。

ガイド:
日本の音楽についての情報を得る事はできましたか? ニューウェイヴやテクノポップ系という意味ですが。

フランク:
当時、残念なことに、日本の音楽についてはちょっとしか知りませんでした。例えば、喜太郎、ツトム・ヤマシタ、そしてクラシックの電子音楽的アレンジで有名だった冨田勲とか。テクノポップでは、YMOしか知りませんでした。

音楽活動のきっかけ

ガイド:
でも、YMOが知られていたとはなんだか感激します。
何があなたの音楽家としての最初の試みだったのですか? その動機は?

フランク:
kriminelletanzkapelle

Kriminelle Tanzkapelle (1985)

1983年に音楽活動を始めました。実際、やってみて、どこまで出来るか試してみるために。僕は正式な音楽教育を受けた事がありませんでした。画家を生業とする事に憧れていて、美術を専攻していました。ただの音楽ファンで、自分が好きな音楽を作ってみたかったのです。だから、最初の作品はテープのループを元にした短い曲でした。僕の最初のカセットテープは、『Scombermix』。Kriminelle Tanzkapelleとしての『Glückliche Jahre(「幸福な年月」という意味)』は、2作目でした。

こちらにインタヴューがあります。
In the studio with Frank Bretschneider

 

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