テクノポップ/海外のテクノポップ

東ドイツで活動したアーティストに取材(共産テクノ)(3ページ目)

ここまで僕の共産テクノに関する調査研究をしてきましたが、今回は実際にその時代に活動していた東ドイツ出身のアーティストであるフランク・ブレットシュナイダーに突撃取材。現在もraster-notonというレーベルを立ち上げ、電子音楽の世界で現役バリバリのフランクに僕の疑問をぶつけてみました。

四方 宏明

執筆者:四方 宏明

テクノポップガイド

犯罪者のダンスバンド!

ガイド:
Kriminelle Tanzkapelleとは、「犯罪者のダンスバンド」という意味ですよね。名前は東ドイツでは刺激的すぎたのでは? 活動する上での障壁はありましたか?

フランク:

うーん、名前は多分圧力を生んだでしょう。でも、実際はバンドというよりも単なる短命のプロジェクトだったのです。覚えている限り、一度しかライヴをやっていません。あまりにも素人っぽく感じたので、当時はライヴ演奏をする事にはあまり興味がありませんでした。だから、問題はありませんでした。

ガイド:

glucklichejahre

Gluckliche Jahre

東ドイツではほとんど全てのレコードはAmiga Recordsからリリースされていましたよね。でも、Kriminelle Tanzkapelleは『Glückliche Jahre』をklangFarBeというレーベルからリリースしていました。どのようにそこからリリースする事になったのですか? インディーレーベルを運営するのには障害はありませんでしたか?

 

フランク:
klangFarBeは、1985年から1989年まで自分の音楽を発表するために僕が作ったレーベルです。カセットテープで8作品。実は、全てのメディアは政府の支配下に置かれるべきであるので、インディーレーベルを運営する事は、東ドイツでは非合法でした。しかし、それはとても小さいビジネスで、それぞれのリリースで20枚くらい。注文の手紙をもらって、依頼があった分だけ売りました。

klangFarBe (Discogs)

現在は広告代理店のCEO

ガイド:
もう一人のメンバの名前は、フリッツ・ヘンドリック・メレ(Fritz Hendrick Melle)。同名異人かもしれませんが、ドイツのウィキペディアにその名前の人は、アートディレクターとありました。同じ人ですか? どのように彼と一緒にやる事になったのですか?

フランク:
最初の2、3の曲を作ってから、歌詞が必要だと感じて、誰か作詞できる人を捜していました。カール=マルクス=シュタットには、若者、アーティスト、詩人等からなる小さなアート・シーンがありました。フリッツが作詞をする事を知っていたので、彼に頼みました。彼はまたサックスを演奏していて、Suicideのような同じ趣向の音楽を共有しました。だから、一緒にやる事にお互い賛同しました。僕が先ず基本のトラック、ベースライン、シンセライン、リズムトラックを作って、彼がそれに歌詞をつけて、サックスを演奏しました。既に言ったように、バンドとしての意図はなかったので、Halleの街で一回ぽっきりのライヴをしただけです。まもなくして、僕は別のアーティスト、 マティアス・ステイン(Matthias Stein)と「Stein Im Brett」呼ぶ別のプロジェクトを始めました。フリッツは後に西ドイツに行ってしまったので、消息が絶たれてしまいました。彼はアートディレクターで、Dorlandという広告代理店のCEOです。

 

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