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ダンサーズ・ヒストリー Noism1 井関佐和子(4ページ目)

りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館専属舞踊団Noismのメインダンサーとして、10年間に渡りカンパニーを牽引してきた井関佐和子さん。彼女が歩んできた舞踊家への道程とは? ここでは、井関さんのダンサーズ・ヒストリーをご紹介します!

小野寺 悦子

執筆者:小野寺 悦子

バレエガイド


やんちゃだったルードラ時代

海外に出て、世界にはさまざまなバレエ学校があるということを知った。そんななか仲間からベジャールの学校、ルードラ・ベジャール・ローザンヌの存在を聞き、スイス在学中にオーディションに挑戦する。
「衝撃のオーディションでした。まずソロを踊って、次にバレエ・クラスがあって、そこまでは“たぶん通ったな!”って自分でも思っていたんですけど……」

最終課題に待ち構えていたのは、演劇のオーディション。“喜怒哀楽を表現しろ”と言われるが、意味がよくわからない。
「取りあえず、日本語をいっぱい使って喋りまくりました。恥ずかしかったですね。その瞬間、“私、落ちたかも……”って思いました」

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 スイス留学にて
(後列右から二人目)

しかし、結果は見事合格。スイス・チューリッヒ国立バレエ学校を一年間で退学し、ルードラ・ベジャール・ローザンヌに移籍する。一期生には金森穣がいたが、彼女が入学したのは六期目のこと。金森はすでに卒業し、校長もミッシェル・ ガスカールに変わっていた。

オーディションも異色なら、授業内容もこれまで学んできたものとは全く違っていた。バレエやモダン、グラハム・テクニックに、演劇、音楽、即興、剣道。果てはサーカスの授業まであり、綱渡りの練習もさせられた。
「運動神経がないので、本当にダメなんです。金森穣いわく、舞踊家になったのは奇跡だと(笑)。だから綱渡りができるようになったのも、クラスの中で最後の方でしたね」

ルードラ・ベジャール・ローザンヌ時代は、ちょっとした問題児だったよう。当時のやんちゃぶりを物語るひとつのエピソードがある。
「剣道の授業が大嫌いで、よく抜け出してました。隙を見て“今だ!”って更衣室まで走っていって、ロッカーの中に隠れるんです。先生たちがギャーギャー言いながら探してるのを、じっと息を潜めて聞いてました(笑)」

そんなとき叱責と共に引き合いに出されたのが、ルードラで優秀な成績を収めた一期生・金森穣の名だった。
「“何で穣みたいにできないんだ、穣みたいにきちんとやれ!”とよく言われました。穣さんがまた、真面目に授業を受けてたんですよね。でも私としては、“穣って誰よ、知らないし”って感じでしたけど(笑)」

演劇も音楽も即興も苦手だったが、こと踊りとなると突出していた。ベジャールの作品を踊るときは、センターを務めている。
「ベジャール自身も公演のときに何度か見に来てくれました。存在感がすごくて、緊張したのを覚えています」

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