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ダンサーズ・ヒストリー Noism1 井関佐和子(3ページ目)

りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館専属舞踊団Noismのメインダンサーとして、10年間に渡りカンパニーを牽引してきた井関佐和子さん。彼女が歩んできた舞踊家への道程とは? ここでは、井関さんのダンサーズ・ヒストリーをご紹介します!

小野寺 悦子

執筆者:小野寺 悦子

バレエガイド


校長に直談判! 16歳で単身スイスへ

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15歳、中学の卒業式にて(右端)

転機が訪れたのは、中学卒業後の春休み。師と共にスイスのバレエ学校へ見学に行く機会に恵まれる。彼女にとって初めての海外旅行だ。現地では見学に加え、実際にレッスンも受けた。当初は視察旅行のはずだったが、学校をすっかり気に入った井関さん。「ここで勉強したい! 私を入れてくれ!」と直談判し、その場で自ら入学許可を取り付けてしまう。

「入学する気満々で帰ってきました。親には“高校も始まることだしちょっと考えなさい”と言われたけど、きかないんですよね。今も昔も我が儘娘なので、もう行くと決めたら行くと(笑)」
高校を1年の一学期で中退し、16歳で晴れてスイスに留学を果たす。

留学先は、スイス・チューリッヒ国立バレエ学校。ミラノ・スカラ座バレエ団出身ダンサーとモーリス・ベジャール・バレエ団出身ダンサーの夫婦が教師という、個性の強い学校だった。クラス編成もユニークで、年齢もバラバラなら国籍も多彩な生徒が集う。なかでも校長のお気に入りの生徒で構成したクラスがあり、彼女もそこに加えられることになる。同級生には、現在新国立劇場バレエ団でソリストとして活躍する丸尾孝子も在籍していた。

「ビシバシやられました。やっぱり日本とは全然違いました」
とはいうものの、初の海外生活を大いに満喫していた様子。ホームシックに陥ることも一切なく、英語も現地で自然と身につけている。
「もう、いろんなことが新しくて……。ずっとバレエばかりやってたから日本では友達なんていなかったけど、向こうで初めて友達ができた。おまけに日本ではほとんどいなかった男友達もできて、“人生バラ色!”って感じ(笑)。私の青春です」

スイス・チューリッヒ国立バレエ学校の学生として、ローザンヌ国際バレエコンクールにも参加している。コンクール中のクラス・レッスンでは、モダンで高い評価を受けた。
「そこからですね、自分にはモダンが向いているのかな、と思いはじめたのは……」

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                     チューリッヒ時代(右)



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