■戦後の役所建築や商業施設たち
豊島区役所(1961年)、豊島公会堂(1950年)
豊島区役所は地上4階、地下1階と都心の区役所としては小ぶりなスケールが好感が持てる建築です。そのデザインは明らかに戦後1957年に丹下健三が設計した旧東京都庁舎や、特に1958年竣工の香川県庁舎の影響が感じられます。RC造ながら和風の軒が出たデザインは全国の役所建築で多くマネされたスタイル。いま、各地でこうしたかつてのモダン役所スタイルが、タワー形の「シティ・ホール」に建てなおされていく中で貴重な存在といえるでしょう。豊島公会堂は区役所の約10年前の竣工。鉄筋コンクリート造2階建て、定員約800人。その正面は戦後やっと立ち直った日本が、努力してモダンな建物を作ろうとした意気込みが感じられます。中規模ホールながらムリヤリ正面に6本もの列柱を立てたり(古典主義の西洋建築のイメージ? あるいは近くにあるライトの明日館を意識してものか?)、ドアまで全面を階段にしたりと少しでも格式高く見せようとしている意匠は、ほほえましくもあります。豊島公会堂では1990年ごろのバンドブームのころまで、よくアマチュアバンドのコンテストが行われていましたね。
しかし、残念なことに、この2つ建物は2015年5月1日に閉庁することが決定しています。この一帯を、隣の豊島区公会堂、区立中池袋公園などを含めて民間活用して再開発するそう。中池袋公園にはオシャレ・カフェなどが計画されているとか……。この公園を含めた一体の、「ノスタルジックで、ちょっと猥雑な昭和っぽさ」が好きだった私はガッカリ。特に区役所は大掛かりな耐震補強を施したばかりだというのに! 仕方のないことですが、こうして、東京、そして日本全国の風景がピカピカで同じような風景になっていくのでしょう。
東西のデパートと家電量販店
ビックカメラのコマーシャルソングとして有名な「ふしぎな、ふしぎな、いけぶくろー、ひがしが西武で、にし東武~♪」と歌われているように、東口に西武百貨店が、西口に東武百貨店があります。東口の西武百貨店は1933年に「菊屋デパート」として開店し、1940年に西武鉄道の前身である武蔵野鉄道が「武蔵野デパート」として買収し開店し、1949年に「西武百貨店」としてオープンしました。西武百貨店・池袋本店はかつて1980年代には伝説の「スタジオ200」という実験映画を発表する場があったり、渋い企画展が数多く行われた「西武美術館」がありました。その後、美術館は北欧家具を中心に扱う「イルムス」になりましたが今は、その場所に無印良品が入っています。西武グループは渋谷のパルコなどを中心に、こうした文化的活動を展開していたイメージが強い気もしますが、すべての始まりは池袋でした。パルコ本店は今でも池袋です。
一方、西口にある東武百貨店は1962年の開店で、東口の西武グループ店舗群のイメージと比較すると少し垢抜けない印象があったような気がします。しかし、1992年に東武は大規模な改築を行い、なんと、売り場面積を83,000平米に拡大するいう荒業で、西口の活性化に着手します。この時点で日本最大の面積のデパートになりました。
このデカさは2003年に松坂屋・名古屋店が86,758平米に売り場を拡大するまでキープされました。しかし、隣の「メトロポリタンプラザ」(経営はルミネ)と連結していて、それを含めると10万平米以上になり、実質的に売り場面積は日本一とする表現を見かけることもあります。この、度重なる売り場面積拡大へのこだわりからか、東武百貨店の建物形状は複雑になり、中は迷宮のようで迷うこともしばしば。でも、この東口への飽くなきライバル意識意識、そして建物のごちゃごちゃ感、私は好きです。
東口、家電量販店ウォーズ勃発!
池袋の電気屋さんといえば長年ビックカメラの独壇場でした。群馬県で誕生したビックカメラは1978年に池袋北口に東京支店をオープンさせました。このころは、「カセットテープが安い店」という認識があって、1980年はじめごろ私も大量にカセットを買いに行ったりしました。その後、1994年に東口にパソコン館ができ、全国の家電量販店を合併吸収して池袋だけでも複数の店舗で展開し、東京だけでなく全国展開していきました。2007年のこと、ヤマダ電機の「LABI池袋」が、東口の池袋本店横にオープンしたことで「池袋家電戦争」とも呼ばれる現象が起こりました。さらに、ヤマダ電機は攻勢をかけ、2009年に閉店した三越池袋をリニューアルして、その名も「ヤマダ電機 日本総本店」を出店。2万平米以上の売り場面積で全面的に参戦してきました。
左の白い建物が現在のビックカメラ本店。ヤマダ電機に囲まれています。「ヤマダ電機日本総本店」は、もと三越池袋店の最終的な外装仕上げを、ほとんどそのまま使っています。三越池袋店の開業は1958年。閉店時には別れを惜しむo大勢のお客さんでにぎわいました。正面にあったライオン像は、墨田区の三囲神社で第二の人生を送っているそうです。
サンシャイン60とサンシャインシティ(1978年)
竣工時点では「アジアで一番高いビル」でした。ですが7年後の1985年にソウルの大韓生命63ビルに抜かれます(その差はわずか9.3mですが……)。そして1990年に西新宿の第一都庁舎ができて、東京で一番だった高さも明け渡し、なんとなーく地味な存在になっていった気もします。でも建築物として室内展望台の高さでは今でも東京ナンバーワン! ちなみにスカイツリー展望台は450mもありますがスカイツリーは建築ではなく電波塔なので「工作物」として除外します。この一帯はサンシャインシティと呼ばれていて、サンシャイン60を中心に、プリンスホテル、ワールドインポートマート、文化会館、アルパと呼ばれるショッピングセンターで構成されています。
サンシャインシティの中にある商店街「アルパ」中央にある噴水広場。今はアイドルのコンサートやイベントなども行われているようですが、かつてはバンドや歌手の新曲を発表したりしていました。私はここで10代のころ近田春夫とビブラストーンの「金曜日の天使」という曲のプロモーション演奏を見ました。
これら施設が建つ場所は、1970年までは俗に「スガモプリズン」と呼ばれた施設があった場所で、その歴史はご存知の方も多いでしょう。サンシャイン60のマッシブな姿を見るたびに、過去を封じ込めた墓標に見えてしまうこともあります。
アニメイト池袋本店(1983年)、サンシャイン店(2012年)
アニメイトはアニメ・コミック・ゲーム関連のグッズを販売する全国展開(海外にも店舗があるらしい)するチェーン店として知られる業界大手のショップです。池袋本店が1号店で、見に行った日には店頭に女の子がいっぱい。アニメなどのクールジャパン(?)カルチャーに疎い私は何が行われているのかまったくわかりませんでしたが、こうした方々が今の池袋人気の一端を担っているんだなー、と感じました。サンシャイン店はアムラックスの隣にあります。これは2代目のアニメイト池袋本店だったらしいです。ファンの間では「牛乳パックビル」と呼ばれているそう。こうした「見たまま」で愛称をつけるセンスは、難解な建築フォルム論よりわかりやすくて好感がもてますね。ちなみに、この牛乳パックビル周辺のサンシャインシティ西側の道は女性向けのコミックなどを対象にした商品がを扱う店舗が多いことから「乙女ロード」と呼ばれています。勉強不足で乙女の方々の傾向はわかりませんが、女性ばかりなので近づけない雰囲気があり、フィールドワークは断念しました……。
アムラックスビル(1990~2013年)
バブル終焉の気配がそろそろ近づいてきたかなと、人々がうすうす感じ始めたころに華々しくデビューした建物。今見ると、ちょっと控えめなポストモダン風味を感じるデザインですね。設計は日建設計、施工は竹中工務店という最強タッグです。ですが、2013年末に営業を終了していました。トヨタ自動車の展示ショールームで、内部には、トヨタの車を中心にコンセプトカーなど、実車以外の展示物も多く、参加型ゲームなどもあるアミューズメント・スペースでもありました。ビルの入り口には閉館のお知らせが張り出されていて少しさびしい気持ちになりました。かつてはアムラックスレディと呼ばれる方々がいて華やかな人気スポットでした。右側の200メートルほど続く歩道が乙女ロードです。
池袋東口「ふくろう」交番(2005年)
池袋東口、西武百貨店を背に信号を渡ったところにある、ふくろうの形をした交番です。1980年代は、さまざまな交番が建築家により建てられ、代表的なものでは渋谷の尖った怪獣のような「宇田川派出所」(1985年、設計:鈴木エドワード)などが話題になりましたね。この、俗称ふくろう交番も知っていましたが、なんとなくポストモダン感あふれる形からバブル期のものだとばかり思っていました。しかし、これは21世紀のデザインだったのです。豊島区の小学生に「理想の交番」というコンペを行い、その絵をもとに設計・施工されたそうです。待ち合わせポイントとして紹介されていることも多いですが、あまりそうした目的で使っている人は少ないような気がしました。パルコ下の石像「いけふくろう」は人気ですが。池袋は「ふくろう」がイメージキャラのようですが定着しているかどうかは微妙です……。
次ページでは、西口公園など、池袋の土木建築物を紹介します。