踊りは大好き、でも運動は苦手!
新国立劇場バレエ団プリンシパル・小野絢子さん。新国立劇場研修所を経て、入団直後のオーディションで新制作バレエ『アラジン』の主役に抜擢。以降着実にキャリアを重ね、実力を蓄えてきた、バレエ団が誇る生え抜きのスター・ダンサーである。幼少期の小野さん。姉と
「最初の記憶は白いレオタード。小林先生の教室は稽古着が全て決まっていて、幼児科の時は白いレオタードに白いスカートで、児童科になると水色のレオタードとクラスによって変わるので。あの頃はバレエのレッスンというよりも、ギャロップしたり、音楽に合わせて楽しく身体を動かしていたのを覚えています」
日舞を習っていた頃
「今考えると確かにそうなんですけど……。小さい頃は本格的な訓練をしていたというよりも、私にとってはどちらも“音楽に合わせて楽しく踊るお稽古”という感覚だったんですよね」
バレエに日本舞踊と踊りの稽古にいそしむも、意外にも子供時代は運動が 大嫌いだったという。
「陸上が特に苦手で、小学校のリレーのタイムは50m10秒台。
最下位を争う遅さでした(笑)」
幼少期の小野さん
「お菓子大好き、ゴハンも大好きと、とにかく食いしん坊。健康診断では“軽度肥満”の所にチェックが入るくらい、だいぶポッチャリさんでした。バレエの教室でも一番太かったですね。稽古中はウエストゴムをする決まりなんですが、ゴムを付けてるのが三段腹に隠れて見えないんです(笑)」
ポアントを初めて履いたのは小学校三年生。 比較的遅いスタートに思えるが、それは教室の方針でもあった。
「小林先生の教室はあまり急いでポアントを履かせることはないし、コン クールにも積極的に出すことはなかったです。私にはそういうピリピリしない感じがよくて、多分続けられたんだと思う。どちらかというと、日本 舞踊の方がピリッとした空気でしたね(笑)」
バレエと平行し日舞も続けていたものの、やはり両立は難しい。
バレエか 日舞か、選ぶ時がきた。
幼少期の小野さん。87年撮影
「中学の始めくらいになると、日舞もだんだん女踊りが多くなって、バレエとは身体の使い方が真逆になってしまったんです。そろそろどちらかにしないと、お稽古回数も大変だし、体型にも影響してくると思って……」
中学時代はバレエ一本に絞り、週に4回稽古に通った。とはいえプロを目指していた訳ではなく、純粋に踊りを楽しむ日々。教室の中でもズバ抜けて目立つ存在ではなく、当人曰く「ごく普通の生徒だった」そう。
バレエアカデミー時代の小野さん