シンメトリーを駆使した紅白の廟建築
左右対称のフマユーン廟だが、水面に映り込むと天地対称にもなる。空から眺めると点対称で、シンメトリーが随所に意識されている
シンメトリーと緑の対照も美しい ©牧哲雄
廟の中心にはフマユーンの石棺を収める中央墓室が設置され、その北東・北西・南東・南西に4つの墓室、東西南北にはイーワーンと呼ばれるイスラム建築特有の門&ホールが備えられている。
庭園の緑に対し、廟は赤砂岩と白大理石のコントラストが色鮮やかで、中央の巨大なドームがすべてを束ね、場を統一している。
フマユーン廟はこうして秩序と無秩序、自然と人工を見事に調和させている。これも生命と知恵という「エデンの園」のテーマを引き継いでいるのだろう。
フマユーン廟の影響とムガル帝国の終焉
対角線上に眺めるフマユーン廟。こうして見ると幾何学的な美観がひときわ引き立つ。タージマハルの純白も美しいが、フマユーン廟の紅白模様もそれに劣らない
インドの世界遺産「タージマハル」。赤砂岩は用いず、白大理石のみで造られている
なかでもムガル建築の最高傑作といわれるのが世界遺産「タージマハル」だ。チャハールバーグ、白大理石、シンメトリー、アラベスクといった特徴がさらに高いレベルで表現されている。
他にもその影響はインドの世界遺産「アグラ城塞」「ファテープル・シークリー」「レッド・フォートの建造物群」、パキスタンの世界遺産「ラホールの城塞とシャーリマール庭園」「タッターの文化財」など、多くのムガル建築に見ることができる。
中央墓室のセノタフ。ムガル帝国最後の皇帝バハドゥル・シャー2世はここで捕まったといわれる
19世紀前半にはムガル帝国はすっかり衰退し、その領土のほとんどを失っていた。1857年、イギリス東インド会社のインド人傭兵=セポイ(シパーヒー)が蜂起してイギリスと対立(セポイの反乱)。インド民衆がこれに呼応してムガル皇帝バハドゥル・シャー2世を担ぎ上げ、ムガル帝国による再支配を企てる。
しかしイギリス軍はこれを武力で鎮圧し、フマユーン廟に隠れていた皇帝を発見して捕縛する。翌1858年に皇帝位は廃位され、ムガル帝国は滅亡。代わりに英国国王を掲げるイギリス領インド帝国が誕生する。これよりインドはイギリスによる植民地時代を迎える。