“ダンス”と唐突に閃いて
アメリカの中学校を卒業し、東京の高校に通っていたときのこと。将来の進路を考え、ふいに浮かんできたのが“ダンス”だったという。とはいえ、それまでダンスはやったことも見たこともない。何とも唐突な発想に思えるがーー。「英語が話せたし、普通だったらそれを生かす仕事をって考えるんでしょうね。実際、親や周りはそう考えていたと思います。ただ私は喋ることがすごくヘタだったから、それより何か自分が表現できることを探したいと思って。そう考えたとき、やっぱり身体なんじゃないか、それはダンスじゃないかと……」
大学の舞踊科やダンス専門学校の資料も取り寄せてみた。しかし、入学審査の実技試験に「石になってください」との課題があると知り、「コレはできないと思って(笑)」断念。大学は普通科に進み、その傍らダンスの道を模索する。
『I was Real-Documents』
(C)Sakae Oguma
大学ではダンス部に所属し、学校の小劇場で公演活動も行った。また、さまざまなジャンルのダンス公演へ足を運び、ワークショップにも積極的に参加している。しかし、大抵のワークショップが振り付けの一端を教え、その講師のテイストに触れるというもの。振りを覚えるどころか、基礎のない身体はろくに動かず、クラスについていくこともままならない。
「基礎がないのは十分わかっていました。じゃあ基礎はどうやって身に付ければいいんですかと聞いてみたら、バレエをやればいいと言われて」
バレエのクラスに参加してみるが、やはりしっくりくるものがない。何よりバレエといえば、幼少時からお稽古ごととしてやるもの、というイメージがある。当時大学生だった佐東さんにとって、違和感はぬぐえなかったという。
『サブロ・フラグメンツ』
(C)Takaki Sudo
どうすれば自分の身体をもっと上手く扱うことができるのか、どうすればもっと自分の身体を知ることができるのかーー。模索の過程で知人に薦められたのが、勅使川原三郎氏率いるカンパニー・KARASだった。初めてビデオを借りて観たのは、1992年に発表された作品『NOIJECT』。
「映像を観ていても、一体どういう風になってるのかさっぱりわからない。どういうメカニズムで身体が動いてるのか全然わからなくて、すごく不思議でした」
当時ちょうど上演中だったKARASの公演『DAH-DAH-SKO-DAH-DAH』を観に、ひとり天王洲・アートスフィアに駆けつける。そこで体験した生の衝撃は、やはり大きかったよう。
「自分もあんなふうに動けるようになりたいと思って……」
帰り際、受付で募集していたKARASのワークショップに申し込む。