世界遺産/ヨーロッパの世界遺産

プラハ歴史地区/チェコ(3ページ目)

ヨーロッパでもっとも中世をとどめる古都プラハ。その歴史は千年を超え、ゴシック、ルネサンスからロココ、アールヌーヴォーまであらゆる建築が黄金の街を彩る。今回はチェコの世界遺産「プラハ歴史地区」へご招待しよう!

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

プラハの歴史1. 帝都プラハ

大迫力の聖ヴィート大聖堂ファサード。まるでSF映画に出てくる宇宙基地のよう ©牧哲雄

大迫力の聖ヴィート大聖堂ファサード。まるでSF映画に出てくる宇宙基地のよう ©牧哲雄

マラー・ストラナ地区にあるカレル橋の橋塔。この塔からの眺めがまたすばらしい! ©牧哲雄

マラー・ストラナ地区にあるカレル橋の橋塔。この塔からの眺めがまたすばらしい! ©牧哲雄

プラハの歴史は6~7世紀にさかのぼる。小さな集落が街となり、9世紀にはプラハ城の原型となる城が建てられ、11~12世紀には、街は都市に成長していたという。旧市街に残る古い街並みはこの時代のものだ。

決定的なのはボヘミア王カレル1世が1346年に神聖ローマ帝国皇帝カール4世となったこと。プラハは帝国の首都となり、芸術と自由を愛する皇帝のもとで現在の聖ヴィート大聖堂やマラー・ストラナ地区の宮殿群、カレル橋をはじめとする壮大な都市が設計され、同時に芸術家が集められて「黄金のプラハ」の繁栄がはじまった。

この路線は16世紀、ルドルフ2世が芸術と学問を奨励する時代まで加速していく。

 

プラハの歴史2. チェコの首都へ

聖ヴィート大聖堂内のステンドグラス。柔らかな曲線が特徴的なアール・ヌーヴォーの旗手アルフォンス・ミュシャの作品 ©牧哲雄

聖ヴィート大聖堂内のステンドグラス。柔らかな曲線が特徴的なアール・ヌーヴォーの旗手アルフォンス・ミュシャの作品 ©牧哲雄

しかし、ルドルフ2世が亡くなると旧教カトリックと新教プロテスタントの間で戦われた三十年戦争が起こり、プラハはその舞台となってしまう。

もともとボヘミアの地は宗教も比較的自由で、宗教改革で活躍したヤン・フスが出たりと、カトリックの聖地ローマの腐敗に反対する反カトリック(フス派)の信仰も盛んだった。戦争終了時にはフス派は解体され、帝国の王宮も帝都ウィーンに移されて、プラハはプロテスタントの温床として弾圧を受け、繁栄は終了する。

バロックの華麗な彫刻や壁画で知られる聖ミクラーシュ教会 ©牧哲雄

バロックの華麗な彫刻や壁画で知られる聖ミクラーシュ教会 ©牧哲雄

現在のプラハの街並みは、16世紀以降のハプスブルク家支配の時代のものが多い。街に多く見られるバロック建築は、この頃のものだ。

プラハがふたたび首都になるのは1918年のチェコスロバキア共和国成立時だ。第二次世界大戦でナチスの支配を受けたあと、社会主義国となり、1993年にチェコとスロバキアに分裂してチェコの首都となって現在に至る。
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