サルバドールの歴史 1. サルバドールの開拓
ペロウリーニョ広場周辺。中央がロザリオ・ドス・プレートス教会。パステル調の家々が立ち並ぶこの辺りはサルバドールの典型的な街並みとして観光客に人気がある
1500年、マヌエル1世は香辛料を中心としたインド洋貿易を確立するために、第二回インド遠征隊としてペドロ・アルヴァレス・カブラルを派遣。カブラルは意図的にか偶然にか、一旦西に大きく進路を取っていたために南米大陸、現在のブラジルのポルト・セグーロに到達。マヌエル1世はこの発見を受けてブラジルの領有を宣言した。
1502年、ブラジル探索を進めていたポルトガル人航海士アメリゴ・ヴェスプッチが諸聖人の日(11月1日)にひとつの湾を発見。湾はバイア・デ・トドス・オス・サントス(諸聖人の湾)と名づけられた。
1549年、初代ブラジル総督トメ・デ・ソウザがこの湾に植民都市サルバドールを建設。サルバドール大聖堂やリオ・ブランコ宮殿、市議会を置き、ポルトガル領ブラジルの首都としてその繁栄がはじまる。
サルバドールの歴史 2. 混血文化
ファサードの精緻なレリーフが目を引くオルデン・テルセイラ・デ・サン・フランシスコ教会
サルバドールで生産された砂糖はポルトガル本国へ運ばれ、サルバドールで売買された黒人奴隷は南米中に輸送された。サルバドールはその利益によって大いに栄えた。
ラセルダ・エレベーター
アメリカでは混血児は黒人と見なされ、奴隷は奴隷であって、白人の親の財産や地位を相続することはなかったし、異人種間の婚姻や白人以外の子を産むことを禁じる州さえあった。しかしブラジルでは混血児もファミリーとして迎えられ、相続権も認められた。
こうしてブラジルでは白人とインディヘナの混血=メスティソ、白人と黒人の混血=ムラート、インディヘナと黒人の混血=サンボと、多彩な混血が誕生した。
ブラジルのビーチに行けばその様子がひと目でわかる。白人、黒人、黄色人種はもちろん、その間のあらゆる色を見ることができる。しかも皆一様にスタイルがよく、美男美女ばかり。混血は美男美女が多いといわれるが、それに加えて強靱な肉体を持つ者しか生き残れず、ポルトガル人によって美女のみが選別されたという奴隷時代の影響もあるのだろう。