世界遺産/アジアの世界遺産

ボロブドゥール寺院遺跡群/インドネシア(3ページ目)

世界三大仏教遺跡のひとつであるボロブドゥールは、一辺約120mの基壇をベースに200万個に及ぶブロックを積み上げた階段ピラミッド。仏教寺院だといわれるが、悟りに至る道を示した「経典」であり、世界の在り方を表した「立体曼荼羅」のようにも感じられる。今回は、ジャングルにそびえる雄大な景観と精緻なレリーフが美しいインドネシアの世界遺産「ボロブドゥール寺院遺跡群」を紹介する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

ボロブドゥールの歴史1. 幻の遺跡

第三円壇からの眺め

最上段である第三円壇からの眺め。何時間でも眺めていたくなる絶景だ

吐水口の魚マカラ

右は吐水口で、彫刻は怪魚マカラ。入口の鬼面カーラやこのマカラ、獅子の神シンハーはインドネシアのヒンドゥー寺院でもよく見かける

紀元前からインドと東南アジアはインド洋を利用した海洋貿易で結ばれていた。海のシルクロードだ。このルートでヒンドゥー教や大乗仏教が伝わり、インドネシアには数々のヒンドゥー教国や仏教国が誕生した。そんな中で8世紀にジャワ島中部に興った仏教国がシャイレーンドラ朝だ。

シャイレーンドラ朝が780年頃から約50年をかけて造り上げたのがボロブドゥールだ。詳細はわかっていないが、完成後まもなくシャイレーンドラ朝は急速に衰退。9世紀にはジャワ島から撤退し、拠点をスマトラ島のシュリーヴィジャヤ王国に移し、王国を引き継いだといわれている。

シャイレーンドラ朝の撤退とともにジャワ島の仏教文化は衰退し、ヒンドゥー教が拡大。プランバナンをはじめとするヒンドゥー寺院が多数造られた。15世紀以降はイスラム教が広がり、現在ではインドネシアの人口の9割以上を占めている。

 

ボロブドゥールはいつしか土に埋もれ、人々の記憶から消え去った。ムラピ火山が噴火して火山灰に埋もれたという説もあるが、土質が火山灰とは違っていたともいわれており、仏教徒によって土中に隠されたとの話もある。

いずれにせよボロブドゥールは9世紀以降、土に埋もれ、熱帯雨林に覆われてしまった。以後1814年に発見されるまで、約1,000年の眠りにつくことになる。

ボロブドゥールの歴史2. 過去と現在の共作

第一回廊のレリーフ

第一回廊のレリーフのひとつ。上段は菩提樹の下で瞑想に入るシッダールタ。この後、悪魔の誘惑を振り切り、悟りを開いてブッダとなる

獅子神シンハー

入口に座す獅子神シンハー

イギリス副総督としてジャワ島に赴任したトーマス・ラッフルズは、伝説の寺院の噂を聞きつけて探索隊を結成。1814年、ジャングルが生い茂る土中から巨大な仏教遺跡=ボロブドゥールを発見する。イギリスとその後インドネシアの主権を握ったオランダは遺跡の発掘・調査を行ったが、遺跡とその地盤は水や植物の浸食を受けてひどく傷んでおり、崩壊寸前の状態にあった。

これを救ったのがUNESCO(ユネスコ=国際連合教育科学文化機関)だ。UNESCOは日本を含む27か国の資金援助を得て1973年に修復を開始。その規模と先端的な内容は、世界遺産条約誕生のきっかけになったアブ・シンベルの救済キャンペーンに次ぐほどのものだった。

修復は丘を覆うブロックをいったんすべて取り除くところからはじまった。IBMの協力を得て用意されたコンピュータによって一個一個のブロックを管理。遺跡を取り除いたあと、丘を鉄筋コンクリートで補強して配水管を設置し、その上にブロックを組み直した。

 

結局10年の歳月と2,200万ドルを費やした修復工事は1983年に竣工。一帯はボロブドゥール史跡公園として整備された。

ボロブドゥールはシャイレーンドラ朝が生み出したジャワ芸術の最高峰であると同時に、UNESCOが救った世界遺産の代表例でもある。いってみればシャイレーンドラ朝と現代社会の共作なのだ。
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