品種の固定化に費やされる時間、労力、そして情熱

深見養魚場産の桜錦。桜錦は、モザイク透明鱗をもつ更紗(紅白)模様のらんちゅう型の金魚です。品種名の由来にもなった更紗の体色は、モザイク透明燐を通すとまさに桜の花を彷彿とさせる清楚で鮮やかなピンク色に見え、キラキラ光る鱗とあいまってとても美しいものです

深見養魚場産の桜錦。桜錦は、モザイク透明鱗をもつ更紗(紅白)模様のらんちゅう型の金魚。更紗の体色は、モザイク透明燐を通すとまさに桜の花を彷彿とさせる清楚で鮮やかなピンク色に見え、キラキラ光る鱗とあいまってとても美しいものです

日本の金魚は、中国より伝来して以降500年の歴史を持ちながら、きちんと固定化され、承認されている品種は非常に少なく、現在までで22品種しかありません。一つの品種を固定化するまでには多大な時間と労力、それを厭わない新品種に対する情熱が必要とされることがその理由です。

突然変異や他品種との掛け合わせにより、形質が異なる金魚が出現することは多々ありますが、その個体の美しさ、特徴を次の代以降の金魚に安定して再現していくことは非常に難しいのです。

金魚のルーツは鮒(フナ)の一種ですが、人間の手(選別や同じ特徴を持った個体の交配)をいれず、放っておくと、代を追うごとに鮒に近い形質に先祖返りしていってしまいます。 そのため、とても難しく根気のいる新しい金魚の作出固定化ですが、そんな中、平成の世になって新たに新品種として発表されたのが「桜錦」です。

現在では人気品種の一つなっている「桜錦」ですが、その桜錦を作出固定化したのが、愛知県弥富にある深見養魚場の深見光春さんです。金魚愛好家の間では、その名を知らない者はないくらい良質の金魚を多数送りだすことで有名な深見養魚場ですが、私はだいぶ前に深見養魚場を訪問し、桜錦の作出固定化についてお話を伺ったことがあります。今回は、桜錦がどのように繁殖を重ね、品種として固定化されていったのか、その時の内容をご紹介します。金魚の新品種作出、固定化がどのように行われるのかが分かると思います。

平成の新品種「桜錦」作出のきっかけ

―桜錦作出のきっかけは?
深見養魚場産の江戸錦(親魚)。江戸錦は、1950年代に2代目秋山吉五郎氏によって作出された。

深見養魚場産の江戸錦(親魚)。江戸錦は、1950年代に2代目秋山吉五郎氏によって作出された。

『一番初めのきっかけは、東錦のような柄の肉瘤の発達した江戸錦を作ろうとしたことが始まりです。1969年、まず江戸川の東京水産試験場から江戸錦を30匹ほど買ってきて、1年目はその江戸錦たちから、まあまあ柄の良い江戸錦ができた。けれども、2年目は夏が暑かったせいか、夏場になったら黒っぽくなってしまい、柄が悪くなってしまった。それじゃあ、ということで目先を変えて、肉瘤の発達したうちのランチュウと江戸錦の掛け合わせ(1回目)をしたわけです。

こっちとしては肉瘤のある江戸錦を期待していたわけだけれども、結果は、墨がポツポツとある赤勝ち、肉瘤も出ていない、柄も頭も期待はずれの江戸錦ができてしまった。仕方がないので、その江戸錦の中でも柄・体型の良いものを選び、さらに掛け合わせをした。けれども、またまた肉瘤の出が悪かった。そこで、もう一度ランチュウと掛け合わせることにしたんです(2回目)。

広大な面積を持つ深見養魚場

広大な面積を持つ深見養魚場

そうしたら、やっと肉瘤の出る江戸錦がたくさん出るようになった。「よしっ」と思って、その当歳の江戸錦をたくさん残しておいたのだけれども、翌年の秋になると、その内の120匹ほどは墨がなくなったり、青みが抜けたりして、赤白のみの江戸錦とは呼べない江戸錦(桜錦の原形)になってしまった。 これでは江戸錦とは呼べない、かといって透明燐だからランチュウとも呼べない。弱ったなと思ったわけですが、出来上がったその魚たちを見たとき、ちょうど春に桜が咲く時の、三分咲きとか七分咲きのような感じを受けた。これはこれで綺麗だなと思い、この魚を見た時の第一印象であった「桜」と、江戸錦の「錦」をとって「桜錦」と名付けたんです。それで「桜錦」として初めて市場に出したんです』

>>桜錦固定化の過程は?