世界遺産/アジアの世界遺産

マラッカとジョージタウン/マレーシア(2ページ目)

一本の通りに並ぶ仏教、道教、キリスト教、ヒンドゥー教、イスラム教の寺院。ひと皿の料理に感じる中国、マレー、インドの香り。今回は海のシルクロードの要衝として、あるいは大航海時代の香辛料貿易の拠点として発展したマレーシアの世界遺産「マラッカとジョージタウン、マラッカ海峡の古都群」を紹介する。

長谷川 大

執筆者:長谷川 大

世界遺産ガイド

マラッカとジョージタウンの歴史1. 海のシルクロード

マラッカ・スルタン・パレス

マラッカ・スルタン・パレス。マラッカ王国の初代国王パラメスワラの王宮を忠実に再現したもので、金属はいっさい使用していない。折り重なる三角屋根や高床式の床が特徴的

マラッカ、スタダイスの鄭和像

マラッカのスタダイスに設置された鄭和像

どうしてこんな雑多な文化が誕生したのだろう?

南に突き出したマレー半島は太平洋とインド洋を分ける境にあり、中国などの東アジアと、インドや中東などの南アジア・西アジアをつなぐ要衝だった。紀元前から多くの商人がこの「海のシルクロード」を行き来して、彼らの拠点や貿易港が築かれた。そのひとつがマラッカだ。

マラッカには中国商人、インド商人、イスラム商人が集まり、1405年には明の永楽帝が派遣した鄭和の大艦隊も寄港している。この時の宝船は全長130mを超えるというから驚きだ。鄭和は1407年に南インドのカリカットに到達。4回目の航海ではアフリカ大陸にまで足を伸ばしている。ちなみに、ヴァスコ・ダ・ガマがカリカットに至ったのが1498年で、旗艦サン・ガブリエル号の全長はわずか27mだ。

この頃、辺りを治めていたのが1402年建国のマラッカ王国だ。インドネシアのシュリーヴィジャヤ王国のパラメスワラが建てた国で、マレーやインドネシアの文化を引き継ぐだけでなく、1414年にはイスラム教化してイスラム商人と手を結び、明と関係を強めて中国商人をも取り込んだ。王国は貿易で莫大な利益を上げ、マラッカは東南アジア最大の貿易港として大いに繁栄した。

 

マラッカとジョージタウンの歴史2. 植民地時代

ジョージタウン、カピタン・クリン・モスク

ジョージタウンのカピタン・クリン・モスク。インド商人によって1801年に建てられたが、その後再建された。右の塔がミナレットで、ここからアザーンが流される

マラッカ、サンチャゴ砦

マラッカ占領後にアフォンソ・デ・アルブケルケはセント・ポールの丘に要塞を築く。その一部がいまに残るサンチャゴ砦だ

ところが1511年、ポルトガルの将軍アフォンソ・デ・アルブケルケの攻撃を受け、王国は滅亡してしまう。この頃から香辛料貿易を巡るポルトガル、オランダ、イギリスの争いが激化。1641年にはオランダがポルトガルを駆逐してマラッカを占領する。

1786年、クダ・スルタン王国が支配していたペナン島がイギリスに割譲され、1824年には英蘭協約でマラッカもイギリスに譲渡される。このときイギリスがペナン島に造った街がジョージタウンだ。

イギリスはジョージタウン、マラッカにシンガポールを加えた3つの海峡植民地を中心にマレー半島の支配を進める。海峡植民地は関税が撤廃されたことから商人が集まり、またスズ鉱山やコーヒー・ゴム農園を切り拓いたことから労働者が流入。こうして最大80の言語が使われていたという多民族文化が浸透していく。

その後、第二次世界大戦中に日本の支配を受けるも戦後イギリス領に戻り、1948年にはマラヤ連邦が成立。1957年に独立を果たし、1963年にはマレーシアが成立する(シンガポールは1965年に分離独立)。

 
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