様々な困難に遭いながらも新しいものを求め、今に繋いだ軌跡……。
そこにいつもあったたくさんの輝石……。
宝塚歌劇団100年へのキセキのひとコマをご紹介いたします。
――Part6「東京宝塚劇場の変遷」――
■宝塚歌劇団100年へのキセキ
Part1「小林一三が目を付けた宝塚村」
Part2「タカラジェンヌの意外な誕生秘話」
Part3「宝塚歌劇 第一回公演はお伽噺」
Part4「宝塚音楽学校の移り変わり」
Part5「宝塚大劇場の変遷」
Part6「東京宝塚劇場の変遷」
Part7「『モン・パリ』~レビューの誕生」
Part8「『パリゼット』~レビュー黄金時代」
Part9「海外公演~世界へ羽ばたくタカラヅカ」
Part10「宝塚歌劇団 戦争からの復活」
Part11「宝塚歌劇団の大運動会」
Part12「『虞美人』~小林一三翁逝く」
Part13「『華麗なる千拍子』~芸術祭賞」
多くの劇場や映画館、芸能プロダクションを保有し、『レ・ミゼラブル』『エリザベート』をはじめ様々なジャンルの舞台作品を制作し、スタジオジブリや『踊る大捜査線』シリーズなど映画の制作や配給が「東宝」ということは周知の話。しかし東宝とは「東京宝塚劇場」の意味であることをご存知の方は少ないかもしれませんね。その東京宝塚劇場の歴史についてお話します。
東京宝塚劇場
■1934年(昭和9年)1月1日~宝塚歌劇の東京での公演は、1918年(大正7年)より行っていました。場所は帝国劇場、市村座、邦楽座、歌舞伎座、新橋演舞場など。
しかし公演期間も客席数も少ないため、チケットは常に入手困難という状況。また、他社が経営の劇場では、座席料金を安価に設定することもできず、「質のいい舞台を、多くの大衆に安価で提供したい」という創立者・小林一三翁の理念は叶いませんでした。
そこで小林一三翁は、1932年(昭和7年)、株式会社東京宝塚劇場(後に東宝株式会社)を設立。1934年(昭和9年)、日比谷に、東京宝塚劇場をオープンさせたのです。
こけら落しは月組による『寶三番叟』『巴里のアパッシュ』『紅梅殿』『花詩集』。宝塚大劇場と同じくロビーには赤い絨毯が敷き詰められ、3階席まである大劇場でした。
時は『モン・パリ』に始まり『パリゼット』『ローズ・パリ』『花詩集』を大ヒットさせた頃。東京宝塚劇場オープンの前年には星組も新設され、宝塚歌劇はレビューの黄金期を迎えることとなったのです。
この東京宝塚劇場で宝塚歌劇は、年6ヶ月から7ヶ月公演しました。他の月は、当時の名優たちの共演、競演の場となりました。
戦前は芸術座、春秋座、新国劇、東宝劇団など、戦後は東宝歌舞伎や東宝ミュージカルに始まり、様々なジャンルの作品が上演しています。
また、NHK紅白歌合戦のステージとして何回も使用されました。