自然と人間の共同作品として
青々とした稲が美しいバタッドの棚田群。棚田の色は、水が入った頃はみずみずしく、稲が育つと青々と、収穫の時期は黄金色、稲刈りが終わると土色に変化する
タムアン村で見かけたイフガオ族の食糧庫。下にある臼で脱穀する
彼の話では、近年バナウェの上流域で森林が伐採されたことがあったらしい。森がなくなると同時に山の保水力が失われ、鉄砲水が棚田を破壊してしまったのだという。
また、農薬を使うようになったある棚田では水田の生態系が破壊されたために化学肥料が必要となり、化学肥料を使うことでさらに田は枯れて、収穫量が激減したという。
食糧庫の下の様子。ネズミ返しがよく見える。奥にあるのが炊事用の釜で、手前がニワトリ籠
田畑や林は自然の景観だと思われがちだが、それは違う。田も畑はもちろん、植林した森林は自然の原生林とはまったく異なる種類のものだ。でも、原生林だけが持続可能であるわけではない。
コルディリェーラの棚田群は自然と人間が絶妙なバランスを保っており、おかげで数百世代にわたって棚田を引き継ぐことができた。まさに自然と人間との共同作品=文化的景観なのだ。
危機遺産リストへの記載とイフガオ族の課題
山を駆け上がるバタッドの棚田群。左の白いラインは土砂崩れ。田植えが終わったあとは比較的手が空くが、棚田のメンテナンスは欠かせない
天日干しされている稲穂
たとえばバタッド村には中学校がないため、子供たちは小学校を卒業するとバナウェで暮らすようになる。文明に触れ、近代的な教育を受けた子供たちが電気もガスも水道もない生活に戻るのは困難で、ラガウェやバギオ、マニラをはじめとする都市へ出て行く子供も少なくないのだという。
農業は重労働の割にお金にならず、農家に現金収入がないことも問題になっている。教育や医療のために現金が必要になり、男が出稼ぎに出たり、棚田を売って村を離れる農家も少なくない。売られた棚田に近代的な家が建築されて、水路が破壊されたり文化的景観が損なわれることもある。
こうして農家の後継者が減ると広大な棚田の維持が難しくなる。棚田は他の棚田とつながることで水路としても機能しているので、一部の棚田の崩壊が全体の機能不全をもたらしてしまうのだ。
バナウェの棚田群。水をたたえた水田が美しい
そうはいっても後継者問題や農村と都市部の経済格差の広がりをはじめ、棚田を巡る問題はいまだ数多いという。この世界遺産がいつまで維持されるのか、イフガオ族にとって棚田の維持になんの意味があるのか、いまも問い続けられている。